初桜 (駆逐艦)
初桜(はつざくら)は日本海軍の駆逐艦。仮称5522号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1艦として横須賀海軍工廠で建造された。 艦名は「その年初めて開いた桜の花、また、咲いてまもない桜の花」[1]のこと。 艦歴竣工竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将)に編入され[2]、特令あるまで待機を行うよう命じられ[3]、6月4日付で駆逐艦「潮」とともに横須賀鎮守府部隊に編入され[4]、そのまま無傷で終戦を迎えた。 終戦後8月27日、連絡のための軍使と水先案内人を送るため、相模湾で戦艦「ミズーリ (USS Missouri, BB-63) 」を中心とする連合国の艦隊と会合した[5]。翌8月28日、「ミズーリ」その他の連合国艦隊200隻は「初桜」の先導の下、東京湾に入港した。機雷原があるため一列縦隊で進入した[6]。 「初桜」は9月15日に除籍。12月1日特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。 その後、ソ連へ賠償艦として引き渡すことになり、1947年(昭和22年)7月5日には佐伯にて「風のある、軽薄な」という意味の「ヴェートレンヌイ(ロシア語:Ветреныйヴィェートリェンヌィイ)」に改称され、艦隊水雷艇(駆逐艦のこと)としてソ連海軍へ編入された。7月29日[5]、ナホトカでソ連側に引渡され、1947年8月中旬にはウラジオストクへ回航された。10月22日には艦名は「表情豊かな、意味深長な」という意味の「ヴィラジーテリヌィイ(Выразительныйヴィラズィーチェリヌィイ)」に改称された。 ソ連海軍「ヴィラジーテリヌィイ」は1949年までウラジオストクに係留されたが、同年3月中旬には標的艦に類別を変更された。6月17日には、「TsL-26(ЦЛ-26ツェエール・ドヴァーッツァチ・シェースチ、「TsL」は「標的艦」(корабль цель)の略)」に改称された。1951年から1953年にかけてソヴィエツカヤ・ガヴァニにあった第199造船工場の施設にて中期修理を受けた。これにより、同型艦とあわせて標的艦仕様に改修された。1959年2月19日には退役し、解体された。 「ヴェートレンヌイ」という名称を持つ駆逐艦はその後は建造されなかったが、「ヴィラジーテリヌイ」の艦名は30-bis号計画型駆逐艦に受け継がれた。 歴代艦長※『艦長たちの軍艦史』372頁による。 艤装員長
駆逐艦長
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |
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