函館どつく
函館どつく株式会社(はこだてどっく)は、北海道函館市にある企業(造船メーカー)。「つ」が大文字となるが、読み方は 「どっく」となる[3]。 概要東北以北で最大の造船メーカーであり[3]、函館と室蘭に造船所がある。函館では幕末の開港から函館港を中心に発展を遂げ、造船は北洋漁業とともに函館の経済を支えてきた[4][5]。室蘭では造船業から撤退していた時期に橋梁や産業機械を製造することで生き残りを図ってきた[6]。多目的で乾ドックを使用しているのは日本国内で唯一とされている[3]。 函館造船所の「第1号乾ドック」が経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されているほか[7][8]、船入澗防波堤とともに「函館港改良施設群」として「土木学会選奨土木遺産」に認定されている[9]。 主要事業函館造船所は、「ハンディサイズバルカー」と呼ばれる2万 - 4万重量トン級のばら積み船の建造において国際競争力がある[10]。2000年代には、自社開発の3万2千トン級バルカー「スーパーハンディ32」が国内外船主に受け入れられ、10年余で80隻を越える受注を重ねた[11]。2010年代には、名村造船所と共同開発した3万4千トン級バルカー「HIGH BULK 34E」が国内外船主から好評価を受け、やはり多くの受注を獲得している[10][12]。いずれも同型船の連続建造により低船価を実現することができた。名村造船所とはその後更に改良型の3万8千トン級「HIGH BULK 38E」[13]及び4万トン級「HIGH BULK 40E」[14]も共同開発し、受注を得ている[15][16]。 室蘭製作所は、函館造船所建造船の船殻ブロックの一部の製作を担当する他、橋梁や陸上荷役機械の製作、旧楢崎造船から引き継いだ小型船の新造等を行っている[17][18]。 また、函館造船所・室蘭製作所とも、乾ドック等による船舶修繕事業を幅広く手掛けている[17][19]。 歴史函館どつくの前身となる函館船渠は、弁天台場とその周囲の浚渫・埋立と船渠の築造を同時に行う構想で計画した[20]。浚渫工事は北海道庁が、埋立工事は函館区が、船渠工事は函館船渠が負担した[20]。 函館港のシンボルとして親しまれてきた2基の大型クレーン(ゴライアスクレーン)は、1979年(昭和54年)に造船不況により周辺の土地と合わせて売却した[21][22]。保存を求める市民運動もあったが[23]、老朽化による倒壊などの危険性から最終的に函館市が撤去する方針を決めた[24]。そして、2009年(平成21年)に函館どつくが解体撤去した[21][25][26]。なお、映画『海炭市叙景』のロケーション撮影は大型クレーン解体に伴って先行ロケを実施した[27]。旧ドック跡地は、1988年(昭和63年)に『青函トンネル開通記念博覧会』函館会場として使用し[28]、その後は複合施設を建設する「マリンパーク構想」を計画していたが、北海道南西沖地震で建物や岸壁が被害を受けたことなどから構想が中断し、計画が頓挫した[29]。2003年(平成15年)に函館市は『函館国際水産・海洋都市構想』を策定し、拠点施設として2014年(平成26年)に「函館市国際水産・海洋総合研究センター」がオープンした[30]。
事業所函館造船所
設備
東京事務所室蘭製作所
設備
大湊連絡所アクセス函館造船所
室蘭製作所
脚注
関連項目外部リンク |
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