冷泉為臣

冷泉 為臣(れいぜい ためおみ、1911年明治44年〉5月7日1944年昭和19年〉8月31日)は、日本の華族、歌人。また、上冷泉家23代当主。父は冷泉為紀伯爵、母は水無瀬忠輔子爵の娘恭子[1]

経歴

祖父、父が宮中で御歌所参候を務めた影響からか、歌学を学ぶため國學院大學文学部に進学。卒業論文では藤原俊成をテーマとした。大学卒業後は陸軍に応召[2]太平洋戦争により中国湖南省邵陽県磨石舗にて戦死したため[3][4]、妹の冷泉布美子の夫冷泉為任が婿養子として跡を継ぐ。

脚注

  1. ^ 上冷泉家(羽林家) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2022年12月9日閲覧。
  2. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、259頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  3. ^ “「俊頼髄脳」の翻刻本出版 冷泉家23代当主・為臣氏の遺稿が76年ぶりに日の目”. 産経新聞. (2018年9月20日). https://www.sankei.com/article/20180920-XDYCX24A5NII5NFYNFJRJE7LTA/ 2022年12月9日閲覧。 
  4. ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “冷泉為臣|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2022年12月9日閲覧。