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余戸村
あまるべむら
餘戸村
廃止日
1921年7月1日
廃止理由
分立
餘戸村
(旧・釜戸村) →
釜戸村
餘戸村
(旧・大湫村) →
大湫村
現在の自治体
瑞浪市
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中部地方
、
東海地方
都道府県
岐阜県
郡
土岐郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
3,579
人
(角川日本地名大辞典21 岐阜、1921年)
餘戸村役場
所在地
岐阜県土岐郡餘戸村
座標
北緯35度24分42秒
東経137度18分30秒
/
北緯35.41156度 東経137.30825度
/
35.41156; 137.30825
座標
:
北緯35度24分42秒
東経137度18分30秒
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北緯35.41156度 東経137.30825度
/
35.41156; 137.30825
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餘戸村(余戸村)
(あまるべむら
[
1
]
)は、かつて
岐阜県
土岐郡
にあった
村
である。現在の
瑞浪市
釜戸町と大湫町の区域に相当する。
村名は、かつてのこの地域の地名、餘戸郷に由来する。
沿革
江戸時代
末期、
旗本
の
釜戸馬場氏
領(公文垣内村、中切村、大島村、荻之島村、宿村、上平村、平山村)、
尾張藩
領(大湫村)であった。
1874年
(明治7年) - 宿村が釜戸宿村に改称する。
1875年
(明治8年) - 公文垣内村、中切村、大島村、荻之島村、釜戸宿村、上平村、平山村が合併し、釜戸村(初代)となる。
1889年
(明治22年)
7月1日
- 釜戸村と大湫村(初代)が合併し発足。
1921年
(大正10年)7月1日 -
釜戸村
と
大湫村
(ともに2代目)に分村。同日餘戸村廃止。
教育
餘戸第一尋常高等小学校(現
瑞浪市立釜戸小学校
)
餘戸第一尋常高等小学校荻之島分教場(後の
瑞浪市立釜戸小学校荻之島分校
) ※1917年までの名称は余戸第二尋常小学校。
餘戸第三尋常小学校(後の
瑞浪市立大湫小学校
)
交通
中央本線
釜戸駅
名所・旧跡
大湫宿
竜吟の滝
脚注
[
脚注の使い方
]
^
日本地名大事典では「あまべむら」となっている。
関連項目
岐阜県の廃止市町村一覧