佐竹義格
佐竹 義格(さたけ よしただ)は、江戸時代中期の大名。出羽国久保田藩の第4代藩主。佐竹氏第22代当主。通称は源次郎。官位は従四位下・侍従、大膳大夫。 生涯第3代藩主・佐竹義処の3男として誕生。母は布施氏(智清院)。幼名は千代助、千代丸。 元禄13年(1700年)11月15日、父・義処の嫡子となった。兄・義苗の早世に伴う措置であった。元禄16年(1703年)4月1日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。同年8月12日、義処の死去により家督を相続した。宝永5年(1708年)12月18日、従四位下侍従、大膳大夫に叙任する。正徳元年(1711年)4月13日、初めてお国入りする許可を得る。正徳5年(1715年)7月19日、久保田城において死去、享年22。法号は天祥院実厳円真。墓所は秋田県秋田市泉三嶽根の天徳寺。 宝永6年(1709年)、藩文所を秋田史館と改称する。また、父の時代に破綻した藩財政再建のために植林を奨励し、さらには救貧対策にも尽力するなど、若くしてその才能を見せたが、江戸屋敷の火災や元禄地震による天災が相次いだ上、義格自身も死去したために、改革は失敗に終わった。 正室はいない。なお、浅野綱長の娘と婚約していた。側室に平賀氏(光全院)。一男あり。長男は早世したため、養嗣子・義峯が継いだ。 系譜偏諱を受けた人物 |