伴勝雄
伴 勝雄(とも の かつお)は、平安時代初期の貴族。東宮傅・大伴弟麻呂の子。官位は従四位下・右兵衛督。 経歴弘仁14年(823年)淳和天皇の即位に伴って、諱を避けて大伴宿禰姓から伴宿禰姓に改姓する。天長元年(824年)従五位上次いで正五位下に叙せられて、陸奥守兼按察使に任ぜられると、天長6年(829年)従四位下・右近衛少将、天長7年(830年)右兵衛督兼讃岐権守と、淳和朝において武官と地方官を務めながら順調に昇進した。天長8年12月8日(832年1月14日)卒去。享年56。 人物寛容でさっぱりした性格で、隠し事を許さなかった。家風は清廉でほんの僅かな不正も行うことがなかった。地方官として辺境の軍事を統括、あるいは衛府の長として宮中の兵を管轄するなど、才学は乏しかったが、軍事を指揮する能力に秀でていた[1]。 官歴『日本後紀』による。
脚注参考文献 |