伏見屋村
伏見屋村(ふしみやむら)は、かつて愛知県碧海郡にあった村である。 現在の碧南市の一部(伏見町、鴻島町、日進町、東浦町、舟江町、照光町、池下町、三宅町、亀穴町、大堤町、三角町、流作町、小屋下町、三間町、下洲町、矢縄町など)に該当する。町名変更前に「碧南市大字伏見屋」と呼ばれた地域に一致する(詳しくは碧南市の地名#旧旭村を参照)。 歴史伏見屋村は伏見屋新田に由来する。1605年(慶長10年)の矢作川の改修により大量の土砂が流入したため、1644年(正保元年)に米津から鷲塚の間に堤防が築かれて油ヶ淵が成立した。その排水路が鷲塚村の地峡を掘割って東浦の海に通じてから、油ヶ淵の南岸(池廻り、いけまわり)と鷲塚村の南側(海表、うみおもて)に新田が開発された。いずれも江戸茅場町の町人である伏見屋又兵衛(三宅又兵衛)の手によるもので、伏見屋新田と呼ばれた[1]。 伏見屋新田は1666年(寛文6年)から元禄年代(1688〜1704年)にかけて開発された。寛文6年に江戸日本橋瀬戸物屋甚左衛門を保証人とした新田開発の願書の内容は
などである(国立史料館蔵神戸家文書)。
教育
脚注
参考文献関連項目 |