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艦歴
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計画 |
昭和18年度計画(改⑤計画)
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起工 |
1943年10月20日
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進水 |
1944年9月15日
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就役 |
1945年7月24日
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その後 |
1946年4月1日撃沈処分
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除籍 |
1945年11月30日
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性能諸元
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排水量 |
基準:3,530 t(水上) 6,560 t(水中)
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全長 |
122m
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全幅 |
12m
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吃水 |
7.02m
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機関 |
艦本式22号10型ディーゼル4基2軸7,750馬力(5,843.5 kW) 電動機2基2,400馬力(1,788 kW)
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最大速 |
速力:18.7kt (水上)6.5kt(水中)
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航続距離 |
37,500 浬(水上:14 kt) 60 浬(水中:3 kt)
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安全潜行深度 |
100 m
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兵員 |
157名
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兵装 |
40口径14cm単装砲 1門 25mm3連装機銃 3基9挺 25mm単装機銃1挺 533mm艦首魚雷発射管艦首 8門 魚雷20本搭載 四式一号一〇型射出機 1基
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航空機 |
晴嵐 3機
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伊号第四百二潜水艦[1](いごうだいよんひゃくにせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の三番艦。
概要
他の二隻の僚艦と同じく、完成が遅すぎたため実戦を経験することなく、戦後の1946年4月1日、五島列島沖で他の潜水艦23隻と共に処分される「ローズエンド作戦」に参加。アメリカ軍の実艦標的として海没処分となった。
正確な沈没地点は長い間不明であったが2015年7月に船影を海上保安庁が、8月7日に日本テレビの報道番組真相報道バンキシャの取材チームが五島列島沖に沈む本艦と見られる格納筒を発見したという。
2017年9月7日、五島列島沖で沈没艦の調査をしていたラ・プロンジェ深海工学会が本艦及びその他の艦の艦種を特定したと発表した[2][3][4][5]。これにより沈没地点が特定された。2017年現在は正立状態で沈んでいる。
艦歴
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』443頁による。
艤装員長
- 中村乙二 中佐:1945年3月15日 -
艦長
- 中村乙二 中佐:1945年7月24日 -
同型艦
- 伊400 - 伊401 - 伊402 - 伊404(未成)- 伊405(建造中止)
脚注
参考文献
関連項目