伊予鉄道郡中線
郡中線(ぐんちゅうせん)は、愛媛県松山市の松山市駅から愛媛県伊予市の郡中港駅までを結ぶ伊予鉄道の鉄道路線である。 松山市中心部から南方向へと延び、そのベッドタウンである松前町や伊予市との輸送を担う。近年は、沿線の成長に合わせて利用客数が増加傾向にある[2][3]。 路線データ
沿線概要松山市駅を発車した列車は南西に進路を取り、まもなく交差する国道56号(今治街道)を過ぎると、土橋駅に到着する。土橋にはかつて中央卸売市場が置かれていたが、移転をして久しい今日ではその活気を想起することは難しい。土橋を過ぎると進行方向右手に愛媛県道18号(途中から愛媛県道326号となる)と並走をしながら、住宅街の中を進む。JR予讃線、松山南環状線との立体交差を過ぎると土居田駅である。 続く余戸駅は、古くは(旧)余土村の中心であり、今でも松山市南西部の中心的な地域にあることから、駅西部とを結ぶ電車連絡バスが発着している。余戸を過ぎても列車は相変わらず住宅街の中を走るが、次の鎌田駅を過ぎて渡る重信川を越えると市街化調整区域へと入り一転して田園が広がる。なお、重信川は松山市と松前町の境界ともなっている。 岡田駅・古泉駅と列車はしばらく田園の中を走るが、古泉駅には大型商業施設(エミフルMASAKI)が2008年に隣接して開業しており、利用客が増加した。 車窓に再び住宅が目立つようになると、松前町の中心駅である松前駅に到着する。松前は漁業で栄えている町であり、昔は当路線の列車内でも松山まで魚介類を売りにいく当地の行商人の姿がよく見受けられた。また、鉄道唱歌でも歌われているように義農精神を今時に伝える作兵衛の墓が近く、駅付近には「義農通り」も走る。 次の地蔵町駅を過ぎると伊予市に入り、新川駅に到着する。付近には古くから開けた新川海水浴場があるが、郡中港駅近くに五色姫海浜公園が開園して以降はシーズン時でも閑散としている。 駅を出てすぐの新川を渡ると、商店街や大型商業施設などが見られる伊予市の中心街に入り、郡中駅と続く終点の郡中港駅へと至る。駅名となった郡中港は目と鼻の先にあるが、現在定期旅客航路は設けられていない。なお、予讃線の伊予市駅が道を挟んで近接しており、乗り換えが可能である。 運行形態普通列車のみで、日中は平日15分間隔、土曜日・日曜日・祝日は20分間隔の運行によってフリークエントサービスを提供している。すべて線内折り返しで高浜線・横河原線との直通運転はない。松山市駅から終点郡中港駅までの所要時間は24分。ワンマン運転は行っていない。 土曜日を除く平日朝に松山市 - 松前間の区間列車が2往復設定されており、平日朝のラッシュ時は松山市 - 松前間が5〜15分間隔で運行されるものの、末端部の松前 - 郡中港間は約20分間隔の運行となり、日中の運行本数より少なくなっている。松山市 - 松前間の区間列車は臨時列車扱いであるが事実上、定期列車として運転されており、駅掲出分をはじめ、各種時刻表にも記載されている。20時台後半から22時30分の終電までは30分間隔で運転される。必要編成数は平日朝ダイヤにおいては5本、日中においては4本である。 編成両数は平日及び土曜日の朝は全列車が3両編成であり、その他の曜日及び時間帯では3000系使用列車のみ3両編成、それ以外は2両編成となる。また、松山まつり・後述の三津浜花火大会開催時や台風などの異常気象時は終日3両編成となる(古泉駅の正面に完成したエミフルMASAKIオープン時もおよそ2週間にわたり終日3両編成で運用された)。さらに、土曜夜市開催日は松山市駅21時発列車から終電まで3両編成で運行される(松山市駅到着後、2両編成は留置線に入り増結を済ませた3両編成と入れ替える)。 増結分の車両は運転台付きの電動車で、単体自走で車庫と松山市駅間を回送されるため、朝のラッシュ時間終了後、1両で回送される同車を見ることができる。 なお、毎年8月第1(または第2)日曜日に行われる松山港まつり・三津浜花火大会開催時は松山市駅23:30発まで終電が延長される。基本的に終日3両編成となるが、一部2両編成となる(2両編成運行分の一部を610系電車で運用)。 また、伊予市で行われる伊予彩まつり花火大会開催時には、上下合わせて8本の電車が増発される。 2006年9月以前は日祝日ダイヤで運用されていた610系電車は、前述の松山港まつり・三津浜花火大会開催時を除いてそれ以降は運用実績がなかったが、2020年8月に運用があり、以降断続的に運用に入っている。 歴史松山から郡中方面への延伸は伊予鉄道が計画していたが実現できず、宮内治三郎ら地元の有志24名で設立された南予鉄道によって1896年(明治29年)に開業した。車両及び線路などの設備は伊予鉄道と共通規格であった。八幡浜方面への延伸構想があったが資金難から郡中駅までの開業にとどまった。その後、伊予鉄道に合併される。国鉄讃予線(現在の予讃線)が1930年(昭和5年)に南郡中駅(現在の伊予市駅)まで延伸されると、対抗して郡中線も郡中港駅まで延伸した。 高浜線と共に、伊予鉄道の経営を支えてきた主力路線だが、軌間が1067mmへと改軌されるのは他路線と比べて数年遅かった。これは、省線(国鉄讃予線)が松山まで開通するのに対抗するため、高浜線の電化・複線化及び、762mmから1067mmへの改軌が決定されたことに起因する。旅客輸送のみならず貨物輸送も行われていた当時、貨物列車の相互乗り入れの観点から、他路線の軌間の拡築工事が問題となった。横河原線・森松線の両線は、積載する貨物の性質上、高浜線と相互に乗り入れる必要が高かったため、改軌することが決定されたが、郡中線と高浜線における貨車の相互乗り入れの必要性は低い(郡中港があるため、高浜港経由の貨物需要が低かった)と判断されたことから、郡中線のみ762mmのままとされたのである。結局、郡中線のみ線路の幅が違うと、貨車の移動や融通に問題があると判断され、数年後の1937年(昭和12年)には他路線と共通の1067mmへと改軌され、再び貨物列車の相互乗り入れが可能となる[4]。 第二次世界大戦が終結すると、非電化線を多く抱えていた伊予鉄道にとって、戦後の石炭不足が大きな問題となった。 そこで打開策として、高浜線同様の大きな需要があり将来が有望視される郡中線を、スピードアップと輸送力増強も兼ねて電化することにより、燃料不足を乗り切ることとなった[5][6]。 1950年(昭和25年)に電化が完了、新たに走り出した電車(ボギー車)は沿線住民に親しまれ、乗客には、「料金が高くても速くて便利である」と好評だったという[7]。電化と同時に、蒸気機関車である坊っちゃん列車が郡中線からは引退した。
駅一覧全駅が愛媛県に所在する。
その他かつて(昭和30年代前半)は、貨物取り扱いもあり、余戸駅、松前駅、郡中駅等の主要駅の2番線もしくは3番線には貨物ヤードがあった。2006年現在、軌道撤去されたものが大半であり、余戸駅では花園に、郡中駅では駐輪場や直営マンション用地等に転用されている。また、松前駅構内の撤去されなかった軌道には極稀に保線車両を待避させている。 脚注
関連項目 |