仙台市立立町小学校
仙台市立立町小学校(せんだいしりつ たちまちしょうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区立町にある公立小学校である。 概要仙台市において、初めて設立された小学校の1つであり、仙台城下・御譜代町に起源をもつ立町(たちまち)に位置する。130年以上の歴史を持つものの、近年は児童数の減少が著しい[1]。 歴史1873年(明治6年)7月7日、「(第七大学区第一中学区)第七番小学校」として、立町330番地に開校した[2]。開校時の児童数は272名、仮教師3名であり、下級8級に編成され、読書、算術、習字の3教科が教授されていた[2]。1876年(明治9年)から1879年(明治12年)までは、「啄玉小学校(たくぎょくしょうがっこう)」という校名で呼ばれていた[2]。 1894年(明治27年)、元柳町(校地の跡地は西公園野球場→花見広場の一部)に新築移転[2]。1949年(昭和24年)、従前の校地と西公園前交差点を挟んで斜向かいの立町70番地(現在地)に新築移転[2]。 児童数は1907年(明治40年)以降 1,000名を越えるようになり、1944年(昭和19年)には歴史上最多となる1,918名に達した[1]。戦後には、1960年代から1970年代までは、全校児童数1,000名前後で推移していたが、1980年代以降には漸次減少、1997年(平成9年)には500人を割り込み(489名)、2006年(平成18年)には300名を下回った(268名)[1]。2009年(平成21年)度現在、全校児童数は、男子 119名、女子 129名、合計248名となっている[1]。2021年の児童数は201人、10学級、教職員20人[3]。 受賞など
その他立町小学校の卒業生には、『荒城の月』の作詞などで知られる詩人、英文学者である土井晩翠がおり、校内には土井の胸像があるほか、2003年(平成15年)9月9日には「土井晩翠校歌資料室」[4]が設けられた。 現在の校歌も土井が作詞したものであり、「仰げば高し天守台 俯せば流れも広瀬川 桜が丘にとなり合う・・・」と[5]、仙台城址、広瀬川、桜ヶ岡(西公園)という、立町の周辺環境を表した歌詞で始まる。 土井が転校してきた1880年(明治13年)当時の立町小学校には仙台師範学校を卒業した和田経重(後の漢詩人井土霊山)が訓導として奉職していた。[6] 脚注外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia