京極高中
京極 高中(きょうごく たかなか)は、讃岐国丸亀藩の第5代藩主。丸亀藩京極家7代。 略歴宝暦4年(1754年)3月23日、第4代藩主・京極高矩の長男(次男との説もある)として江戸で生まれる。宝暦13年(1763年)に父が死去したため、家督を継ぐ。明和7年(1770年)12月16日に従五位下・能登守に叙位・任官する。 安永9年(1780年)、勘定奉行の村井忠左衛門を登用して銀札を発行した。さらに備蓄米の法を制定し、窮民救済に努めた。また、儒者である渡辺半八を登用し、学問所である正明館を拡大して学問を奨励し、福島甚浦を建設して船舶の利便を図った。文化3年(1806年)に若狭守に遷任する。文化8年(1811年)1月13日に江戸屋敷で死去した。享年58。跡を四男の高朗が継いだ。 系譜 |