井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)は、東京都杉並区善福寺にある八幡神社である。別表神社。
概要
青梅街道沿い、早稲田通り沿いにある。都内でも有数の広大な社叢を誇る。この地域一帯は遅野井とも称され、明治期までは遅野井八幡宮とも呼ばれていた。
井草八幡宮は、縄文期から祀られ、神社としての形態をととのえたのは平安時代(794年~1185年)末期といわれている。 始めは春日社を祀っていたが、源頼朝が奥州征伐の戦勝祈願をしたことで八幡大神(やはたのおおかみ)を主祭神とするようになったと伝えられている。
源頼朝が起請(文治5年)して霊験を得、手植し奉献したと伝えられる老松「天然記念物-井草八幡の松」(高さ約40m)があったが、1973年(昭和48年)に枯れてしまった。現在その樹根の一部が当社回廊に飾られている。
アニメ〈物語〉シリーズにて作中の北白蛇神社のモデルにもなった。
祭神
歴史
縄文期から人々が生活していた此の地に神が祀られ、神社としての形態をととのえたのは平安時代末期といわれている。当初は春日神を祀っており、源頼朝が奥州討伐の折、八幡神を合祀して戦勝を祈願して以来八幡宮を合祀し、後年春日社を末社として奉斎するようになった。
文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻むるに当たり、戦勝祈願をしたと云い伝えられている。
江戸幕府三代将軍の徳川家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営し、 慶安2年に朱印領六石を寄進している。以降幕末まで歴代将軍から朱印地の寄進があった。その頃、氏子崇敬者により、石燈篭、石鳥居、狛犬、手水盤などが奉献された。
明治以降も氏子崇敬者によって社殿の改修や増築が繰り返され、同時に植林も行われた。
境内
文華殿(宝物館)、民俗資料館、幼稚園を設置している。
文化財
- 顔面把手付釣手形土器 縄文時代 杉並区井荻三丁目(現・杉並区善福寺)出土(重要文化財)
氏子地域
- 善福寺一丁目~四丁目全域
- 上井草一丁目~四丁目全域
- 今川一丁目~四丁目全域
- 桃井一丁目~四丁目全域
- 清水一丁目の一部、二丁目~三丁目全域
- 井草一丁目~五丁目全域
- 下井草一丁目の一部、二丁目~五丁目全域
- 上荻四丁目の一部
- 西荻北四丁目全域、三丁目・五丁目の一部
- 本天沼二丁目・三丁目の一部
交通
外部リンク