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中有知村
なかうちむら
中有知村
廃止日
1954年4月1日
廃止理由
合併・市制施行
美濃町
、
洲原村
、
下牧村
、
上牧村
、
大矢田村
、
藍見村
、
中有知村
→
美濃市
現在の自治体
美濃市
・
関市
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中部地方
、
東海地方
都道府県
岐阜県
郡
武儀郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
面積
6.57
km
2
.
総人口
2,340
人
(1954年)
中有知村役場
所在地
岐阜県武儀郡中有知村生櫛1634-4
座標
北緯35度31分38秒
東経136度54分11秒
/
北緯35.52728度 東経136.90297度
/
35.52728; 136.90297
座標
:
北緯35度31分38秒
東経136度54分11秒
/
北緯35.52728度 東経136.90297度
/
35.52728; 136.90297
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中有知村
(なかうちむら)は、かつて
岐阜県
武儀郡
にあった
村
である。
現在の
美濃市
の南部、
長良川
東岸の村である。
歴史
江戸時代
末期、この地域は
尾張藩
領、
天領
であった。
1873年
(
明治
6年) - 上生櫛村と下生櫛村が合併し、生櫛村となる。
1889年
(明治22年)
7月1日
- 生櫛村、松森村、志摩村が合併し発足。
1954年
(
昭和
29年)4月1日 -
美濃町
、
洲原村
、
下牧村
、
上牧村
、
大矢田村
、
藍見村
と合併し美濃市が発足。同日中有知村廃止。
1956年
(昭和31年)4月28日 - 美濃市と
関市
とで境界変更。旧・志摩地区の一部(東志摩)が関市に編入される。
教育
中有知村立中有知小学校 (現・
美濃市立中有知小学校
)
関市学校組合立有知中学校
[
1
]
交通機関
名古屋鉄道
美濃町線
松森駅
[
2
]
脚注
[
脚注の使い方
]
^
1955年に組合立を改称。有知中学校は
関市立下有知中学校
となり、新たに美濃市立中有知中学校を開校。1958年に中有知中学校は
美濃市立美濃中学校
に統合。
^
長良川鉄道
松森駅
は、美濃町線
新関駅
-
美濃駅
間廃止時に、美濃町線松森駅の代替として開業。
関連項目
岐阜県の廃止市町村一覧