中島 (倉敷市)中島(なかしま)は、倉敷市倉敷にある地区である。かつては窪屋郡中島村であった。現在の中島小学校区とおおむね同一である[1]。 総人口は16321人(男性8044人、女性8277人)、世帯数は6597世帯(平成24年9月末現在[2])。郵便番号は、710-0803(倉敷郵便局管区)。 概要倉敷市中心市街地西方にある郊外型の町である。 元々は、この地区は吉備の穴海と呼ばれる海域であった。中世末より徐々に干拓が行われ、江戸時代中期には古地(総社市清音)で東西分岐した高梁川の間で、連島の北側に位置する、南北に長いデルタ地帯となった。中島という地名も、この地形に由来している。[3] 江戸時代、元和3年に備中松山藩主・池田氏の開墾により窪屋郡中島村となり、寛永19年には池田氏除封により倉敷代官所管轄となる倉敷支配所となる。一時期、亀山藩飛び地を経て田中藩飛び地となるが、再び倉敷支配所となる。[3] 明治期になると、酒津・水江村と合併し中洲村、町制施行で中洲町を経て、旧倉敷市に合併、さらに新倉敷市となり、現在に至る。[3][4] 現在は、水江・酒津とは地区が分かれ、中島は単独の中島地区となっている。 地区内を主要幹線道路が敷設されており、東西に旧国道2号線と国道2号線倉敷バイパスが通っており、地区西端(大西交差点)で両道路が交差する。また地区東寄りを南北に岡山県道396号線~186号線が通り、北東端(中島交差点)[5]で旧国道2号線と、南東端(中島南交差点)で国道2号線バイパスと交差している。[4] このように当地区は道路交通の要衝となっているため、交通量が多く、道路沿いにはスーパーマーケット、コンビニエンスストア、自動車ディーラー、飲食店などのロードサイド店舗が多く立地している。さらに元々は郊外型の農業地帯であったが、道路交通網の発展に伴い、農地は次第に住宅地と変貌していき、人口は大幅に増加した。[4] また地区外になるが、東側に水島臨海鉄道球場前駅・西富井駅・福井駅、北側に山陽本線西阿知駅が近くにある。 学区大部分は、小学校は倉敷市立中島小学校区、中学校は倉敷市立南中学校区となる。一部は隣接学区となる。 沿革
主要施設
交通
出身有名人
脚注参考文献
参考サイト関連項目 |
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