上原英治上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日[1] - )は、日本の実業家。東京ガス相談役・前会長・元社長・経団連理事、経済同友会幹事を歴任。 人物・来歴東京府生まれ。目黒区立中目黒小学校、海城中学校・高等学校を経て、1959年一橋大学商学部卒業。大学では会計学松本雅男教授ゼミナールに参加。 学生時代は剣道に打ち込み(段位は3段[1])、その縁で本田弘敏と知り合い[2][3]1959年東京ガス株式会社へ入社。1988年、営業計画部長に就く。東ガスきっての営業のプロとも称された[1]。1991年経理部長、1992年取締役総合企画部長、1993年常務取締役総合企画部長。東京電力の南直哉と交流を深めた[1]。1995年代表取締役専務取締役、1996年代表取締役専務取締役事業開発本部長。設備投資が膨らみ借入金が増大する中、敢えてガス料金の値下げに踏み切り、経営合理化・効率化の陣頭指揮を執った[1]。1998年代表取締役副社長、1999年代表取締役社長、2003年代表権取締役副会長、2006年代表取締役会長。2007年から取締役相談役。 元東京ガス代表取締役社長。2006年から社団法人日本ガス協会副会長。社団法人日本経済団体連合会理事、社団法人経済同友会幹事、社団法人企業研究会副会長、国立大学法人一橋大学経営協議会委員学外委員、財団法人日本ファッション協会理事、有限責任中間法人都市ガス振興センター代表理事、財団法人建築環境・省エネルギー機構理事、財団法人省エネルギーセンター理事等も歴任。 元ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)評議会会長。東京ガス常務時に、部下の鳥原光憲(後の同社代表取締役社長)から頼まれ[4]同職に就いた。 1993年、東京スタジアム建設が決定し、東京ガスサッカー部(現FC東京)のJリーグ参入を期待する声も上がったが、上原は現時点での参入は性急であるとしてサッカー部の部長だった鳥原らを諌め、地域での足固めを説いた[5]。旧JFL内で東京ガスが力を付け、また、Jリーグ2部制導入(J2の創設)が決まった1997年からは、鳥原と共に社の方針を固めると同時に、知己の南が副社長を務める東京電力を始めとして[6]産官へ同クラブへの助力を働きかけ、プロ化に貢献した。 著作
*「インタビュー 上原英治・東京ガス社長--叩き合いではお客様不在。競争と協調だ(特集 自由化1年… 電力大乱)」エコノミスト79(11) 2001.3
脚注参考文献 |
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