三浦市立三崎小学校

三浦市立三崎小学校
地図北緯35度8分35.6秒 東経139度37分10.3秒 / 北緯35.143222度 東経139.619528度 / 35.143222; 139.619528座標: 北緯35度8分35.6秒 東経139度37分10.3秒 / 北緯35.143222度 東経139.619528度 / 35.143222; 139.619528
過去の名称 三崎郷学校
東岬学舎
東岬学校
公立三崎学校
宝蔵学校
尋常高等三崎小学校
三崎尋常高等小学校
三崎町国民学校
三崎町立三崎小学校
三浦市立三崎第一小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 三浦市
併合学校 西岬学校
六合学校
城ヶ島学校
小網代学校
設立年月日 1872年5月15日
分校 六合分教場(1887年 - ?)
城ヶ島分教場(1911年 - 1970年)
小網代分教場(1911年 - 1955年)( - 1967年)
学校コード B114221020016 ウィキデータを編集
所在地 238-0243
神奈川県三浦市三崎1丁目20番32号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

三浦市立三崎小学校(みうらしりつ みさきしょうがっこう)とは、神奈川県三浦市三崎1丁目にある市立小学校

沿革

出典[1]

  • 1872年(明治5年)5月15日 - 三崎郷学校として開校。
  • 1873年(明治6年)4月 - 東岬学舎に改称。
  • 1875年(明治8年)6月 - 東岬学校に改称。
  • 1883年(明治16年)8月 - 西岬学校を合併、公立三崎学校に改称。
  • 1887年(明治20年)3月 - 六合学校を合併、六合分教場にする。宝蔵学校に改称。
  • 1897年(明治30年)1月 - 尋常高等三崎小学校に改称。
  • 1911年(明治44年)4月 - 城ヶ島学校、小網代学校を合併、分教場にする。
  • 1923年(大正12年)4月 - 三崎尋常高等小学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、三崎町国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、三崎町立三崎小学校に改称。
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月1日 - 三崎町が南下浦町、初声村と合併し、三浦市になる。三浦市立三崎第一小学校に改称。
    • 4月1日 - 小網代分教場が、この日開校した三崎第二小学校の所属となる。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 現校名に改称。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 城ヶ島分校廃校。

学校教育目標

出典[2]

  1. 自分で考え 創造する子
  2. 心 豊かな子
  3. たくましく やりとげる子

通学区域

通学区域は以下の通りである[3]

  • 三崎1~5丁目
  • 白石町
  • 海外町
  • 尾上町
  • 向ヶ崎町
  • 天神町(17番、18番)
  • 城山町(1~6番)
  • 晴海町
  • 三崎町城ヶ島
  • 東岡町

旧城ヶ島分校

旧城ヶ島分校
現在は海の資料館となっている

1970年に廃校となった城ヶ島分校は、公民館になり、校舎が1987年1月30日に市指定文化財に指定された[4]。現在は海の資料館となっている。

海の資料館には県指定の有形民俗文化財、城ヶ島漁撈用具コレクション(1982年2月9日指定)が所蔵されている[4]

所在地

神奈川県三浦市三崎町城ヶ島411

北緯35度8分7秒 東経139度37分7.8秒 / 北緯35.13528度 東経139.618833度 / 35.13528; 139.618833

交通

進学先中学校

三浦市立三崎中学校[3]

交通

著名な出身者

脚注

  1. ^ 三浦市立三崎小学校|沿革 - 2023年8月8日閲覧
  2. ^ 三浦市立三崎小学校|学校教育目標
  3. ^ a b 三浦市小・中学校通学区域一覧|三浦市”. www.city.miura.kanagawa.jp. 2023年8月8日閲覧。
  4. ^ a b 指定文化財 - 三浦市

関連項目

外部リンク