三宅康勝

 
三宅康勝
時代 江戸時代前期
生誕 寛永5年(1628年
死没 貞享4年8月9日1687年9月15日
改名 隼人(幼名)→康勝
戒名 海巌院殿源徹了淵大居士
墓所 愛知県田原市田原町北番場の霊巌寺
官位 従五位下、能登守、土佐
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
三河挙母藩主→三河田原藩
氏族 三宅氏
父母 父:三宅康盛、母:貞松院(内藤政長の娘)
法秀院松平正綱の娘)
於松(太田資良正室)、康雄、於奈与、隼人
テンプレートを表示

三宅 康勝(みやけ やすかつ)は、三河挙母藩の第2代藩主、のち三河田原藩の初代藩主。田原藩三宅家4代。

生涯

寛永5年(1628年)、三河挙母藩主・三宅康盛の長男として生まれる。明暦3年(1657年)12月に父が死去したため、明暦4年(1658年)2月27日に家督を継いだ。寛文元年(1661年)12月27日、従五位下・能登守に叙位・任官する。寛文4年(1664年)5月9日、三河国田原に移封された。

延宝6年(1678年)3月5日など、3回にわたって大坂加番を務めた。貞享4年(1687年)8月9日に死去した。享年60。跡を長男の康雄が継いだ。

系譜

父母

正室

子女