ワールドミュージックワールドミュージック (英: World music) とは、アフリカ、ラテンアメリカ、アジア、バルカン半島、ケルト、ロマほか世界の各地域と民族の、多様な音楽を包括する音楽用語である。 定義ワールド・ミュージックの定義としては、以下のような例を挙げることができる。
概要:アカデミックな使用この用語は民族音楽学者のロバート・エドワード・ブラウンが1960年代前半に造語したものである。当時彼はウェズリアン大学で学部生の教育・訓練を行っており、効果的に学習させるために、アフリカやアジアの演奏家たちを10人以上招いて一連のワールドミュージックコンサートを開催したのである[2][3]。また、民族音楽学者のブルーノ・ネトルは、1985年の自著において、19世紀前後から始まった世界のグローバル化と音楽メディアの発達の影響から、ヨーロッパ音楽の要素を取り入れて非ヨーロッパ地域で作られた新しい音楽群を「ワールドミュージック」と呼んだ[4]。 詳細:レコード業界での使用「ワールド・ミュージック」は最初、学術の世界で非・西洋の音楽を指すために用いられた側面がある。もうひとつは、ピーター・バラカンや北中正和が共通して紹介している、イギリスのレコード店から分類が困難なレコードがあると意見が寄せられ、1987年に同国で始まったという説[6]である。また輸入盤通販店「タムボリン」の店主で、元・音楽雑誌「包(Pao)」の編集長の船津潔は「ワールドミュージックという音楽用語は1987年のイギリスの音楽雑誌『フォーク・ルーツ』(のちに『エフルーツ』と名称を変更)に見ることができる。『フォーク・ルーツ』は11社11枚のCDを ”World Music” の名の下に広告を打った。これを機にワールドミュージックというジャンルが世界規模で始動した」と指摘する[7]。ワールド・ミュージックは80年代後半には音楽界やレコード業界での流行語になっていた[8]。 フランスでは、毎年、夏至の6月21日、フランスのさまざまな地域で "Fête de la Musique"[9](音楽祭)が開かれており、ここでは特定の地域の音楽に限定することなく、世界中の音楽の演奏家たちが参加しフランス全土で演奏する音楽祭である。また、この Fête de la Musique の日以外でも、世界各地の演奏家を招いて、フランスの音楽家と世界の音楽家の共演が見られる。
歴史第二次世界大戦後には、マンボ[14]やチャチャチャ、ルンバ[注 1]、タンゴといったラテン音楽も流行した。1960年代、1970年代には、ミリアム・マケバの「パタパタ」、ヒュー・マセケラ[15]の「グレイジング・イン・ザ・グラス」[注 2]がヒットした。マヌ・ディバンゴやオシビサ[注 3][16]も活躍した。また、ミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ロリポップ」[17]やデスモンド・デッカーの「イズラエライツ」(「イスラエルちゃん」1969年)がイギリス発信でヒットした。さらにラテンでは、ホセ・アルベルト、ピート・ロドリゲス、ジョー・バターン、ジョー・クーバ、レイ・セプルベダ、ファニア・オールスターズ[18]らが活躍した。アメリカ白人のサイモン・アンド・ガーファンクル[注 4]の「コンドルは飛んでゆく」が70年にヒットしている。この曲でフォルクローレの存在を知らしめたポール・サイモンは、1972年に「母と子の絆」でレゲエのリズムを紹介し、ワールド・ミュージックと関わったミュージシャンの先駆けとなった。ポール・サイモンは、1980年代に入ってからもワールド・ミュージックに関心を持ち続け、1986年にアルバム「グレイスランド」をヒットさせた。1960年代のヒッピー・ムーブメントやヒンズー教、瞑想、禅、ブッディズムなどの影響を受けたビートルズやローリング・ストーンズなどのロック・ミュージシャンたちは、インド音楽に傾倒した。インドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカルは、ウッドストック・フェスティバルにも出演したことは、こういった時代背景があった。1973年には、マヌ・ディバンゴ(カメルーン)の「ソウル・マコッサ」[19]がアメリカでヒットしている。 2000年代以降には、マヌ・チャオやフェルミン・ムルグサ、バルカン半島のタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、ファンファーレ・チョカルリア、ノー・スモーキング・オーケストラらも紹介された。 「ワールド・ミュージック」が含みうる要素としては、音階組成や旋律のパターン、伝統的なリズム、和声など作曲技法に関わるものと、楽器の種類や発声などシステムの要素の融合によって形成される。また、ギターから変形したチャランゴのように、楽器自体が変質した音楽も含められる。 日本とワールドミュージック日本では、1980年代以降に、キング・サニー・アデ、ユッスー・ンドゥール、サリフ・ケイタ、レディスミス・ブラック・マンバーゾ、オフラ・ハザなどが話題となった。ウォーマッドは、日本でも1991年から5年間開催された。細野晴臣が1989年にワールドミュージックをテーマにしたアルバム『オムニ・サイト・シーイング』を発表。また、日本の音楽グループで、ワールドミュージック風の楽曲を演奏するグループも登場した。日本の三味線の演奏家や琴の演奏家や和太鼓の演奏家が外国から招かれて現地に飛び、当地の音楽家と、土着の音楽と日本の音楽を融合させた音楽を演奏する活動も行われている。2000年4月から2013年3月まで、NHK-FMで『ワールドミュージックタイム』が放送された(DJ:北中正和)。2012年4月2日から、NHK-FM『音楽遊覧飛行』の「エキゾチッククルーズ」で、ワールドミュージックが紹介されている(DJ:サラーム海上)。 地域別のワールド・ミュージックアフリカ
ナイジェリアアンゴラ南アフリカ
インド洋の島大西洋の島:カーボ・ヴェルデなどラテンアメリカ
メキシコ
コロンビアブラジルカリブ海ジャマイカキューバアジア東アジア東南アジア南アジア
西アジアユダヤ系音楽ヨーロッパフランス、イタリア、スペイン、東欧、ロマなど
ロシア/トゥヴァ北アメリカアメリカ
カナダ
オセアニア* 英語圏によるもの 脚注注釈出典
参考文献
関連項目
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