ロイク・レミー
ロイク・レミー(Loïc Rémy、1987年1月2日 - )は、フランス・リリュー=ラ=パプ出身[1]の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。西インド諸島のマルティニークにルーツを持つ。 来歴クラブ2006年、オリンピック・リヨンでプロデビュー。 2008年1月31日にRCランスにレンタル移籍をすると、リーグ戦10試合3得点の活躍を見せ、6月5日に800万ユーロでOGCニースに移籍した[2]。ニースでは2年連続2桁得点を挙げる活躍を見せ、2010年8月19日にオリンピック・マルセイユへの移籍が発表されたが、その後のメディカルチェックで心臓に異常が見つかり、入団どころか現役続行すら危ぶまれたが[3]、後にプレーに問題はないと判明。8月24日に正式に入団が決まった[4] 。移籍金は非公開ながら推定1550万ユーロとされた[5]。マルセイユでの初シーズンは自己最高記録となるリーグ15得点を挙げ、たがチームは2位でシーズンを終えた。2年目のシーズンもチームトップとなる12ゴールを挙げ、同時入団のアンドレ=ピエール・ジニャックを差し置いてエースの座を確立したが、チームは10位と低迷した。 その後、ニューカッスル・ユナイテッドFCやトッテナム・ホットスパーFCなど主にプレミアリーグのチームが獲得に動き、2012年12月19日にはニューカッスル移籍へ前向きな姿勢を本人も示し[6]、年明けにはクラブ間合意の報道が出るなど移籍は決定的と見られていたが、2013年1月16日に一転してQPRへの移籍が決定した[7]。契約は4年半。 2012-13シーズンのQPRの降格に伴い、ニューカッスル・ユナイテッドFCへ1年間の期限付き移籍[8]。 2014年8月31日、チェルシーFCに4年契約で移籍した[9]。スウォンジー戦でデビューすると、レミーは途中出場でありながらゴールを挙げてチームの逆転勝利に貢献した[10]。その後はスウォンジー戦でハットトリックを決めたジエゴ・コスタのバックアッパーを務める形となるも、1月のマンチェスター・シティ戦では出場停止中だったジエゴ・コスタに代わってスタメン出場するとエデン・アザールからの低いクロスに合わせて先制点を奪った。さらに3月にはハル・シティ戦とストーク戦で2試合連続の勝ち越しゴールを挙げてチームに勝ち点3をもたらした。このシーズンのレミーが出場した27試合のうち17試合は途中出場だったが、その中でもベストを尽くしてチェルシーのリーグ優勝に貢献した[11]。 2018年1月28日、ヘタフェCFにシーズン終了までのレンタルで移籍した[13]。 2018年7月13日、リールと2年契約を締結したことが発表された[14]。 2020年8月28日、チャイクル・リゼスポルへの移籍が発表された[15]。 2022年2月からは、同じくトルコのアダナ・デミルスポルにフリーで加入する[16]も構想外となってわずか2試合の出場で7月に退団。その後は無所属が続いたが、2023年2月に母国フランスのスタッド・ブレスト29にフリーで加入[17]。しかし、ブレストでも公式戦での出場機会は得られず、試合に出場することなくシーズン終了後にチームを退団した。退団から約3ヶ月後の10月9日にレミーは現役から退くことを発表した[18]。 代表カリム・ベンゼマやサミル・ナスリらと同じ87年生まれである。2007年のトゥーロン国際大会に出場し、エスポワールにも選ばれていた。 2008年3月20日、負傷したティエリ・アンリの代役としてフランス代表に招集され、3月24日のB代表でのマリとの親善試合に出場した。2009年3月28日のリトアニア戦にニコラ・アネルカ、ジミー・ブリアン等の負傷によりペギー・リュインドゥラと共に追加招集された。6月2日、ナイジェリア戦で初キャップを記録した。 2010年10月9日のEURO2012予選、ルーマニア戦で代表初得点となる決勝点や2011年8月10日に行われたアルバニア戦で追加点を挙げた。2012年5月17日にはEURO2012の候補メンバー26名に選出されたが最終的にメンバーから外れた。 エピソード2013年5月15日、2人の男性とともに婦女暴行の疑いで警察に逮捕された[19]。 個人成績クラブでの成績
代表歴出場大会
試合数
得点
タイトル代表
クラブ
個人
脚注
関連項目外部リンク |
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