レースホース (駆逐艦・2代)
レースホース(HMS Racehorse)はイギリス海軍の駆逐艦。R級。 艦歴ジョン・ブラウン社で建造[1]。1941年6月25日起工[1]。1942年6月1日進水[1]。同年10月30日竣工[1]。 「レースホース」は東洋艦隊の第11駆逐艦戦隊に配属となるが、まずは大西洋で護衛任務に従事した[2]。「レースホース」は航空母艦「ヴィクトリアス」をグリーノックからハンプトンローズまで護衛し、次いで油槽船団TMF2をキュラソーからジブラルタルまで護衛した[2]。それから「レースホース」はES26船団とともにケープタウンへ向かった[2]。 1943年2月17日、「レースホース」は同日ドイツ潜水艦「U182」に沈められたイギリス船「Llanashe」の生存者8名を救助した(「Llanashe」の生存者は9名で、沈没の11日後にオランダ商船「Tarakan」の救助され、それから「レースホース」と仮装巡洋艦「Carthage」に移されたとも)[3]。 5月下旬、「レースホース」はドイツ油槽船「Charlotte Schliemann」捜索に当たる「ニューカッスル」を護衛した[4]。 1944年4月以降、「レースホース」はサバン攻撃(コックピット作戦)、スラバヤ攻撃(トランサム作戦)作戦、ポートブレア攻撃(ペダル作戦)、サバン攻撃(クリムズン作戦)に参加した[5]。 1945年4月上旬、「レースホース」と駆逐艦「ロザラム」、「リダウト」、「ロケット」からなる第62部隊はメルギー・アマーストで船舶掃討作戦(ペンザンス作戦[6])を行い、小型船1隻とジャンク1隻を沈めた[7]。またグレートココ島を砲撃した[7]。続いて第62部隊はメルギー・Moulmein川間で同様の作戦を行い、ジャンクなどを沈めた(パスブック作戦[8])[7]。また、イギリス軍機が「Agata Maru」と第七号駆潜艇を沈めた場所で68名を救助した[7]。 4月下旬、「レースホース」と駆逐艦「ローバック」、「リダウト」からなる第62部隊はマルタバン湾へ出撃(ゲーブル作戦[9][10])[7]。4月30日未明にラングーンから撤退する日本兵を乗せた船団を発見し、潰滅させた[7]。 6月、マレー半島南部の写真偵察作戦に参加(ボールサム作戦[11])[12]。 1945年10月に「レースホース」はポーツマスに戻り、カテゴリーB2予備役となる[5]。1949年12月7日に解体のためBISCOに引き渡された[5]。 脚注
参考文献
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