レディーズシークレット
レディーズシークレット (Lady's Secret) はアメリカ合衆国の競走馬。1986年にブリーダーズカップ・ディスタフで優勝。「鉄の女」 (The Iron Lady) の愛称で親しまれた。 略歴アメリカ三冠馬セクレタリアトの初期の産駒である。サンディエゴ・チャージャーズの元オーナーとして知られるユージン・クライン夫妻が20万ドルで購入した。 2歳となった1984年にデビュー。同年は8戦3勝。3歳時は8連勝でブリーダーズカップ・ディスタフに挑戦したがライフズマジックの2着に敗れた。同年は17戦10勝。古馬となった4歳時は牡馬にも挑戦し[1]、ホイットニーハンデキャップでは牡馬を破り[2]、ブリーダーズカップ・ディスタフでも前年の雪辱を果たした。同年は15戦10勝でG1競走年間8勝は新記録だった。また同年には牝馬ながらエクリプス賞年度代表馬[3]、最優秀古馬牝馬に輝いた。1987年は5戦2勝で引退した。G1競走は計11勝。獲得賞金302万1425ドルは北アメリカの牝馬としては当時の最多記録だった。 引退後はケンタッキー州レキシントンのファレス・ファームに売却され繁殖牝馬となった。 初仔のマチカネアイーダ(父アリダー、1戦のみで繁殖入り)を皮切りに6頭もの牝馬産駒が競走馬、あるいは繁殖牝馬として日本に輸出されている。1992年の産駒グッドルックス(父ミスタープロスペクター)が中央競馬で3勝、1996年の産駒アグネスライナー(父シアトルスルー)がフラワーカップで4着となっている。1995年の産駒スリーピングインシアトル(父シアトルスルー)の仔サウンドバリアーは2010年のフィリーズレビューを制した。 晩年まで繁殖牝馬として供用されていたが、2003年3月4日に出産時の事故のためカリフォルニア州ヴァレーセンターのヴァレー・クリーク・ファームで死亡した。 1992年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たした。競馬雑誌「ブラッド・ホース」による20世紀のアメリカ名馬100選では76位。 モンマスパーク競馬場にはレディーズシークレット・カフェという喫茶店があり、サンタアニタパーク競馬場では2011年までレディーズシークレットステークス(現在のゼニヤッタステークス)という競走に名を残していた。 産駒の何頭かは繁殖用として日本に輸入されており、その子孫からはマテンロウレオ、マイスタイル、サウンドバリアー、サウンドキアラ、キョウワハピネスなどの重賞馬が出ている。 主な勝利すべてアメリカ合衆国の競走。
血統表
主な近親本馬の半妹グレートクリスティーヌ(父Danzig)の産駒にビリーヴ(高松宮記念、スプリンターズステークス)がいる。 脚注外部リンク |
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