ルディ・グーテンドルフ
ルディ・グーテンドルフ(ドイツ語: Rudi Gutendorf, 1926年8月30日 - 2019年9月13日)は、ドイツ・コブレンツ出身のサッカー選手、サッカー監督。選手時代のポジションはフォワード。 経歴現役時代はTuSノイエンドルフに在籍し、右ウイングとしてプレーした[1]。 現役引退後はゼップ・ヘルベルガーから指導を受けてサッカー指導者に転身[2]。ドイツ国内を中心に各国のクラブ・代表チームで監督を歴任。マイデリッヒャーSV監督時代には守備的戦術をチームに導入して創設1年目の1963-64シーズンのブンデスリーガで2位に入り[1]、シャルケ04監督時代の1969-70シーズンにはUEFAカップウィナーズカップでベスト4に導いた[1]。 1984年、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ1969)の監督に就任した[3]。与那城ジョージを筆頭に南米路線を採っていたクラブに、ユーゴスラビアのヴィエラン・シムニッチやスコットランドのスティーブン・パターソンといった当時のJSLでは珍しいヨーロッパ出身の選手を加入させ、組織戦術や規律の導入を試みた[3]。1984年シーズンにJSL・天皇杯の二冠を獲得[3]。翌1985年シーズンにJSLカップ優勝を成し遂げたが、リーグ戦では不振が続き、1986年1月にクラブを去った[3]。 2003年までにネパール代表、トンガ代表、ルワンダ代表など5大陸の代表チームを指導するなど、32か国55チームの監督を務めており、ギネス世界記録に登録されている[1]。 2016年10月、ドイツ国内の難民を対象にしたチーム「TuSインターナショナル」の監督に就任した[4]。 2019年9月13日に死去したと報じられた[5]。 指導者歴特記ないものはいずれもチーム監督。
脚注
外部リンク
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