The play he can of Ryghtmadhye
Which dulle wittits dothe encombre
For thys play stant al by noumbre
And hath al his conclusions
Chefly in proporsions
By so sotil ordynaunce
As hyt ys in remembraunce
By thise Philosophurs olde.
リトモマキアに関する最初の文献史料は1030年頃に遡る。それによると、アシロという修道士(おそらく後のヴュルツブルク司教アダルベロ(英語: Adalbero of Würzburg))[3]が、修道院の学校に通う生徒向けに、ボエティウスの "De institutione arithmetica" にある数論を実体化させたゲームを作ったのだという。当時、"De institutione arithmetica" は算術を学ぶ人々にとって標準的な教科書だった。その後間もなく、別の修道士であるライヒェナウ島出身のヘルマヌス・コントラクトゥス (1013–1054) の手で、さらにはリエージュの学校で、このゲームのルールが改良・確立された。その後の数世紀にわたり、リトモマキアはドイツ南部やフランスで、学校や修道院に広まっていった。当初は主に教育の補助教材として使われていたが、次第に知識人の間で娯楽としてもプレイされるようになった。13世紀にはイングランドに伝わり、著名な数学者トマス・ブラドワーディン(英語: Thomas Bradwardine)がリトモマキアについての文献を著している。さらにロジャー・ベーコンも自身の生徒たちにリトモマキアを薦め、トマス・モアは著書『ユートピア』の中で、このゲームを住民たちが娯楽として楽しんでいる様子を描写している。16世紀になると、このゲームは広く知られるようになり、ラテン語・フランス語・イタリア語・ドイツ語の文献が出版されるほどになった。1556年にはパリで、1563年にはロンドンで、リトモマキアのゲームセットの販売広告が出されていたことも判明している。しかし、他の多くのボードゲームとは異なり、中近世で実際に使われていたリトモマキアの盤・駒などの実物は現存していない[1]。
リトモマキアが最も人気を博したのは16世紀のことである。テューダー朝時代の博学者で政治家、そしてジュネーヴ聖書の出版者でもあったローランド・ヒル (ロンドン市長)(英語: Rowland Hill (MP))は、1562年に The most ancient and learned Playe, called the Philosopher's Game invented for the honest recreation of Students and other sober persons, in passing the tedious of tyme to the release of their labours, and the exercise of their Wittes(『最も古く、知恵深き遊戯――「賢者の遊戯」と称され、勤勉な学生やその他節度ある者たちの公明正大なる娯楽として、徒然なる時間を労苦からの解放と知恵の鍛錬へと導く』)という題名でこのゲームに関する書物を出版した[4]。また、彼の所有するソールトン・ホール(英語: Soulton Hall)の地下にあるパーラーあるいは祈祷室には、このゲームの盤が設置されている。
1572年、フランチェスコ・バロッツィ(英語: Francesco Barozzi)がヴェネツィアでリトモマキアの解説書を出版し、さらにブラウンシュヴァイク公アウグスト2世によってドイツ語に翻訳された[5]。17世紀になると教育方法の変化に伴い、ボエティウスの数学が時代遅れとみなされるようになったことで、リトモマキアの人気は急激に失墜し、事実上消滅した。原因の一つとして、リトモマキアの統一的なルールが定められることがなく、教師によってルールが大きく異なっていたことが挙げられる。このゲームは、当時すでに広く普及していたチェスにしがみつく形で部分的に生き延びた。先述のアウグスト2世は、「グスタフス・セレヌス (Gustavus Selenus)」のペンネームで執筆したチェスに関する著書の付録として、リトモマキアのルールを掲載している。その後もしばらくはドイツのチェス関連の書物で「算術チェス」「数字のチェッカー」といった形で言及される程度に残ったが、実際にはほとんどプレイされることはなかった。20世紀に入り、アルノ・ボルスト(Arno Borst)などのボードゲーム史研究者によって再発見された[1]。
^ abcdStigter, Jurgen (2007). “Rithmomachia, the Philosopher's Game”. In Finkel, Irving L.. Ancient Board Games in Perspective. The British Museum Press. pp. 263–269. ISBN9780714111537
^Ann E. Moyer, "The Philosopher's Game: Rithmomachia in Medieval and Renaissance Europe." Isis, Vol. 95, No. 4 (December 2004), pp. 697–699. David Seposki
^Ann E. Moyer, The Philosopher's Game: Rithmomachia in Medieval and Renaissance Europe (University of Michigan Press, 2001), p. 20.
Menso Folkerts, Die «Rithmachia» des Werinher von Tegernsee, in M. Folkerts - J. P. Hogendijk, Vestigia mathematica: Studies in Medieval and Early Modern Mathematics in Honour of H.L.L. Busard, Amsterdam 1993, pp. 107–142
William Fulke (1563), translating Boissiere (1556), The Most Noble, ancient and learned playe, called the Philosopher's Game, STC 15542a. オンライン翻刻
Jean-Marie Lhôte, Histoire des jeux de société, pp. 201 & 598-9, ISBN2-08-010929-4
Ann E. Moyer, The Philosopher's Game, University of Michigan Press, ISBN0-472-11228-7
David Parlett, The Oxford History of Board Games, pp. 332–342, ISBN0-19-212998-8
David Sepkoski, "Ann E. Moyer: The Philosopher’s Game: Rithmomachia in Medieval and Renaissance Europe.” Isis, Vol. 95, No. 4 (December 2004), pp. 697–699.
Joseph Strutt and J. Charles Cox, Strutt's Sports & Pastimes of the People of England, pp. 254–5