リカルド・ナニータ
リカルド・マイケル・ナニータ(Ricardo Michael Nanita、1981年6月12日 - )は、 ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 経歴プロ入りとマイナー時代2003年のMLBドラフト14巡目(全体412位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団。ルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスで47試合に出場し、5本塁打37打点11盗塁、打率.384だった。 2004年はA+級ウィンストン・セーラム・ワルホグズとA級カナポリス・インティミデイターズでプレー。 2005年はA+級ウィンストン・セーラムで120試合に出場し、9本塁打54打点14盗塁、打率.292だった。 2006年はAA級バーミングハム・バロンズで106試合に出場し、8本塁打42打点11盗塁、打率.286だった。 2007年はAA級バーミングハムで123試合に出場し、5本塁打42打点10盗塁、打率.260だった。 2008年はAA級バーミングハムで111試合に出場し、9本塁打51打点14盗塁、打率.286だった。オフに行われたルール・ファイブ・ドラフトで、ワシントン・ナショナルズから指名され移籍。 2009年は開幕をメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズで迎え、5月からはベラクルス・レッドイーグルスでプレー。7月からルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプレーし、9試合に出場した。 2010年はメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンでプレー。62試合に出場し、6本塁打30打点1盗塁、打率.341だった。8月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。AA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツで6試合に出場した。 2011年はAA級ニューハンプシャーとAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレー。AAA級では51試合に出場し、8本塁打33打点6盗塁、打率.363だった。 2012年1月6日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。AAA級ラスベガスで93試合に出場し、12本塁打62打点3盗塁、打率.306だった。オフの11月21日にブルージェイズとマイナー契約で再契約を結んだ[1]。 2013年は招待選手としてスプリングトレーニングに参加した[2]。シーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[3]。同大会でドミニカ共和国は優勝している。 シーズンはAA級ニューハンプシャーで開幕を迎えた。5月にAAA級バッファロー・バイソンズへ昇格。AAA級では38試合に出場し、2本塁打14打点1盗塁、打率.261だった。 2014年1月20日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。スプリングトレーニングには、招待選手として参加し、終了後、傘下AAAのバッファロー・バイソンズへ異動した。5月17日に、メキシカンリーグのキンタナロー・タイガースへ移籍した。オフに、リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナのアギラス・シバエーニャスに参加した。 中日時代2014年12月15日に中日ドラゴンズと契約を結んだ[4]。 2015年3月27日の阪神タイガース戦で初出場を果たす。4月14日の対阪神戦では来日後初のサヨナラヒットを放った。持病の腰痛や左肘痛に悩まされ58試合出場に留まり本塁打も0本だったものの、打率は3割8厘をマークした[5]。8月には左肘の遊離軟骨除去手術を受けた[6]。 2016年は開幕当初は代打出場が中心だったが、4月12日の広島東洋カープ戦からは5番に入り[7]、4月23日の東京ヤクルトスワローズ戦では小川泰弘から来日初本塁打を放った[7]。20試合連続安打を記録し活躍したが、7月下旬に登録抹消された。8月9日に一軍登録されるが、怪我の影響で8月16日に登録抹消され、そのままシーズンを終えた。10月30日に球団は契約更新をしない方針であることが報道され、12月2日、自由契約公示された[8]。 中日退団後2017年1月に左肘トミー・ジョン手術を受けた。そして、無所属のまま2017年シーズンを全休し、リハビリに専念することを明らかにした。5月にはキャッチボールを再開。将来的にはオフのウィンター・リーグで実戦復帰したのち、2018年からのNPB復帰を目指していた[9][10]。 しかし、NPBでナニータを獲得する球団はなく、2018年はメキシコのオアハカ・ウォーリアーズで4試合プレーしたのみに留まった。同年8月、母国ドミニカ共和国でプレー中にフェンスに激突、右腕数カ所を骨折する重傷を負った[11]。 現役引退後2018年限りで現役を引退し、サントドミンゴ近郊で私設アカデミーを経営している。 2020年よりミネソタ・ツインズ傘下ルーキー級のドミニカン・サマーリーグ・ツインズの打撃コーチに就任した[12][13]。 選手としての特徴・人物俊足巧打の外野手[14]。打撃では巧なバットコントロールと勝負強さが武器[14]。 エクトル・ルナ、アンダーソン・エルナンデスと3人で、自身等の出身であるドミニカ共和国のイニシャルであるDをとり「3D」と呼ばれていた[15]。 ブルージェイズ3A時代に同僚だった川﨑宗則とは親友であり、彼を「ジャパニーズ・ブラザー」と呼んでいる[14]。ナニータは「(川﨑は)自分の兄弟のように思っている。彼の奥さんから毎日、おにぎりをもらっていたよ」と振り返っている[14]。 2015年シーズン終了後、オフに肉体改造に着手。体重を12キロ減らし、体脂肪率も半減させ話題となった[5]。 専用の応援歌は用意されていないが、「ナニ~タ!ナニ~タ!ナニ~タ!オイオイオイ!」という専用コールが存在する(元ネタは2015年までJリーグ・名古屋グランパスに所属していたダニルソン・コルドバのチャント)。球場全体で盛り上がる応援として定着し、ナニータ自身も気に入っている[16][17]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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