リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群
リオデジャネイロ : 山と海との間のカリオカの景観群(リオデジャネイロ : やまとうみとのあいだのカリオカのけいかんぐん)は、ブラジルの大都市リオデジャネイロにあるUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。街並みを対象とする世界遺産ではなく、コルコバードの丘やコパカバーナ海岸など、都市周辺の人の手が加わって発達してきた文化的景観がまとめて対象となっている。文化的景観を対象とする世界遺産の登録は、ブラジルでは2012年に登録された本件が初めてであった。リオデジャネイロの美しい景観は「世界三大美港」の一つ[1][2]とも言われる。それらの美しい景観群は、文芸、音楽、都市計画など、広範囲な分野において創作を触発してきた[3]。なお、登録名に含まれる「カリオカ」とは、リオデジャネイロの住民や出身者を指す名詞、または都市と住民の形容詞形である。 登録経緯この物件が世界遺産の暫定リストに記載されたのは2001年8月7日のことであり、最初の推薦は翌年2月29日に行われた[4]。このときの推薦名は「リオデジャネイロ : ポン・ヂ・アスーカル、チジュカの森および植物園」(Rio de Janeiro : Sugar Loaf, Tijuca Forest and the Botanical Gardens) で、複合遺産としての推薦であった[4]。2003年の第27回世界遺産委員会で審議された際には、自然遺産要素については「不登録」、文化遺産要素については「登録延期」と決議された[4]。一度「不登録」と決議された物件は、同じ理由での再推薦はできなくなる。そして、ブラジル当局は、文化遺産候補(文化的景観)として推薦書を再構成した[4]。 再推薦は2011年1月27日のこととなった[4]。これを受けて、世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は、翌年春に「情報照会」を勧告した[5]。ICOMOSは推薦物件が顕著な普遍的価値を持つことを認めつつも[6]、管理面での不備を指摘したのである[5]。 しかし、その年の第36回世界遺産委員会では逆転での登録が認められた[7]。ブラジルの世界遺産としては19件目であり、2年前の第34回世界遺産委員会で登録されたサン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場に続いて2件連続での逆転登録となった。文化的景観の登録は、ブラジルでは初である[8]。 なお、ICOMOSから指摘されていた管理面の不備は、ほぼそのまま付帯的に採用され、改善すべきことが勧告された[9]。 登録名世界遺産としての正式登録名は、Rio de Janeiro: Carioca Landscapes between the Mountain and the Sea (英語)、Rio de Janeiro, paysages cariocas entre la montagne et la mer (フランス語)である。その日本語訳は資料によって以下のような違いがある。
構成資産構成資産はコルコバードのキリスト像で知られるコルコバードの丘やリオデジャネイロ植物園などを含むチジュカ国立公園関連の3件と、コパカバーナ海岸を含むグアナバラ湾周辺の1件の、計4件で構成されている。 チジュカ国立公園とその周辺チジュカ国立公園は1961年に設定された国立公園で[16]、「都市公園の森林の再造林では世界で最も成功した例の一つ」[17]とされている。公園内には、コルコバードの丘が含まれる[18]。リオデジャネイロ周囲の山はコーヒー栽培や放牧のために森林が切り払われたが、その結果、市民の水需要を支える河川は涸れ、首都リオデジャネイロは水不足と雨季の水害に悩まされるようになった。19世紀後半からブラジル政府がチジュカを管理下に置いて植林を進めていった結果、荒れ野は森に戻り、大西洋岸森林の生態系が復活している。 コルコバードの丘(コルコバード山)は標高700mあまり[注釈 1]の丘(山)で、リオデジャネイロ市街と海岸を一望できる人気スポットである[19]。この丘には、リオデジャネイロのシンボル[19][11]とかトレードマーク[20]といわれるコルコバードのキリスト像が建っている。8 mの台座の上に両手を広げて直立する高さ30 mのこの像は[19]、ブラジル独立100周年を記念するもので[11]、1931年に建てられた[19]。フランス人芸術家ポール・ランドウスキ (Paul Landowsky) 監修、エイトル・ダ・コスタ・エ・シルヴァ (Heitor da Costa e Silva) 設計で、アール・デコが採用されている[18]。 このほか、パラグライダーの愛好者たちが飛び立つときにも利用されている[21]ペドラ・ダ・ガヴェアも含まれる。 コルコバードの丘の南にはリオデジャネイロ植物園がある。これはポルトガル王ジョアン6世の植物収集が元になって19世紀初頭に成立した植物園で、21世紀初頭の時点で、約8,000種の植物が植えられている[22]。森林保護区の部分と庭園の部分から成り、庭園には新古典主義様式が採用されている[18]。 海岸部グアナバラ湾は1502年にポルトガル人が到達したが[23]、湾口が狭いことから河口と誤認され、「1月の川」を意味するリオデジャネイロの名の語源となった[24]。 湾に面したフラメンゴ海岸には、1961年から1965年にかけて設定されたフラメンゴ公園がある[18]。面積は1,200万m2で[19]、1956年に建設された戦没者慰霊塔と近代美術館などを含んでいる[18]。また、湾口には高さ396 m[注釈 2]の花崗岩の岩山ポン・ヂ・アスーカルがそびえる。これは手前のウルカの丘を経由して頂上に至るロープウェーが整備されている[25]。ポン・ヂ・アスーカルは「砂糖パン」の意味で[26]、英語名シュガー・ローフも同じ意味である。 沿岸部には、リオデジャネイロにとどまらずブラジル最大の保養地の一つとされ[27]、世界的な知名度を獲得しているコパカバーナ海岸がある[22]。海岸沿いには大通りが面し、高級ホテルも多く建っている[28]。 構成資産リスト世界遺産センターが公表している個別構成資産名および世界遺産登録ID番号は以下の通りである[29]。
登録基準ブラジル当局は、世界遺産の登録基準 (1)、(2)、(6) に該当するとして推薦していたが、ICOMOSは勧告書の中で (1) と (2) の適用を否定する代わりに、ブラジル当局が考慮していなかった基準 (5) の適用が可能である旨を説明した[30]。この判断は世界遺産委員会でも踏襲されたので、この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
ギャラリー
脚注注釈
出典
参考文献
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