ランカ・タミル連邦党
ランカ・タミル連邦党(ランカ・タミルれんぽうとう, タミル語: இலங்கைத் தமிழரசுக் கட்சி, シンハラ語: ඉලංගෙයි තමිළ් අරසු කච්චි, 略称:ITAK)は、スリランカ・タミル民族主義を掲げるスリランカの政党。1949年に全セイロン・タミル会議(ACTC)から分離する形で設立され、その後1972年に再びACTCと合併してタミル統一戦線(後のタミル統一解放戦線、TULF)を結成した。その後はTULFの一部として活動していたが、2004年にTULFと分離し再び独立した政党として活動を再開した[1]。 沿革連邦党1949年、S・J・V・チェルヴァナヤカム、C・ヴァニアシンガム、E・M・V・ナガナタンという3名のセイロン・タミルによって結成された。彼らは所属していた全セイロン・タミル会議(ACTC)が統一国民党との連立政権に参加するという決定に反発し、自分たちで新しい政党を立ち上げた[2]。この政党はかつて英語で連邦党(FP)と呼称されていた[3][4]。 その後ソロモン・バンダラナイケ率いるスリランカ自由党が政権を担い、シンハラ民族主義が強まるにつれ、スリランカ・タミルの声は連邦党に集約されるようになっていった[5]。国内の民族間・政党間の対立が強まった結果、少数民族の代表政党だった3政党(FP、ACTC、CWC)によりタミル統一戦線(TUF)が1972年に結成された。その後同政党は1976年に名称をタミル統一解放戦線(TULF)に変更し、タミル人による独立国家「タミル・イーラム」の樹立を主張するようになる。 その後1977年総選挙ではタミル民族主義政党として首位に立ち、北部・頭部を中心に18議席を獲得した[6]。その後タミル民族主義が暴力化し、内戦が勃発して以降もTULFはあくまで穏健派の中心だった。しかし、結果としてシンハラ、タミル双方の過激派の標的となり、数多くの指導者が暗殺された。 タミル国民連合2001年、タミル統一解放戦線(TULF)は他の穏健派タミル人政党らと共にタミル国民連合(TNA)を結成し、同年実施された総選挙で15議席を獲得した[7]。その後TNAはよりタミル・タイガー寄りの主張をし、タミル・タイガーこそがスリランカ・タミルを代表する唯一の組織であると見なすようになった。しかしTULF内にはV・アナンダサンガレをはじめとするタミル・タイガーに反発する政治家もいたため、この主張によりTULFが分裂することとなった。その結果、TULF党首のアナンダサンガレは2004年選挙においてTNAがTULFの名称を使用することを禁じた[8]。そしてTNAの議員たちがランカ・タミル連邦党(ITAK)の名称を使用することを望み、これ以降TNAはITAKのシンボルを使って選挙戦を戦うこととなった。 選挙結果議会選挙
脚注
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