ライアン・ボリンジャー
ライアン・マイケル・ボリンジャー(Ryan Michael Bollinger、1991年2月4日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州アップルバレー出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。ドイツ・ブンデスリーガのハール・ディサイプルズ所属。 経歴フィリーズ傘下時代2009年のMLBドラフト47巡目(全体1427位)でフィラデルフィア・フィリーズから一塁手として指名され、入団。傘下ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズに配属された。この年は7試合に出場し打率.174の成績を残した。 米独立リーグ時代2010年7月に米独立リーグのフロンティアリーグに加盟するウィンディシティ・サンダーボルツと契約を結び、この際に一塁手から投手に転向。同年は6試合に登板し、5.0回を投げて防御率0.00の成績を残した。 ホワイトソックス傘下時代2010年10月7日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[1]。 ホワイトソックス傘下では2011年から3シーズンプレーし、最高で傘下A級カナポリス・インティミデイターズまで昇格した。 米独立リーグ時代2014年は北米独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのセントポール・セインツと契約を結び、7試合に登板して防御率9.00の成績を挙げた。シーズン途中に退団しカナディアン・アメリカン・リーグに加盟するトロワリヴィエール・エーグルスと契約。さらに8月15日にトレードでウィニペグ・ゴールドアイズに移籍した後、約1ヶ月後の9月23日に再びトレードされトロワリヴィエール・エーグルスに復帰した。最終的に同年シーズンは独立リーグ3球団を渡り歩く形となり、合計で24試合に登板し防御率6.48の成績を残した。 トロワリヴィエール・エーグルスでは2016年までプレーし、主に先発投手として起用された。 ドイツ球界時代2017年2月1日、ドイツのブンデスリーガに加盟するハール・ディサイプルズと契約。同地では先発投手として10勝1敗、防御率0.76の好成績を残し、ブンデスリーガ南地区の最優秀投手に選ばれた。同年は106.0回を投げて178奪三振を記録し、ブンデスリーガにおける1シーズンの最多奪三振記録を更新した[2]。シーズン終了後にはオーストラリアン・ベースボールリーグに加盟するブリスベン・バンディッツと契約。同年のほか、2018年と2019年のシーズンオフも同チームでプレーした。 ヤンキース傘下時代2017年12月16日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[1]。 2018年は傘下AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで開幕を迎え、その後は傘下AA級トレントン・サンダーでプレーしていたが、5月23日にジオバニー・ガジェゴスに替わってAAA級を飛び越えメジャー初昇格を果たした[3]。しかしメジャーでの出場機会はなく、翌日にマイナー降格となった[1]。その後は7月31日にもメジャー昇格を果たしたが[1]、またしても翌日にマイナー降格となり[1]、9月1日にDFAとなった[1]。 パドレス傘下時代2018年11月26日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び[1]、2019年のスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、開幕前の3月27日に自由契約となった[1]。 富邦時代2019年6月5日、KBOリーグのSKワイバーンズへ移籍したヘンリー・ソーサの代替選手として、中華職業棒球大聯盟(CPBL)に加盟する富邦ガーディアンズと契約した。富邦時代の登録名は包林傑。この年は19試合に登板して6勝5敗、防御率4.31を記録し、シーズン途中入団ながら127奪三振を記録した。 2020年も引き続き富邦と契約したが、この年は足の故障により登板機会がなく、8月6日に自由契約となった。 楽天モンキーズ時代2020年12月15日、CPBLの楽天モンキーズと契約を結んだことが発表された。楽天での登録名は霸林爵。 2021年は19試合に先発登板して5勝7敗、防御率2.80を記録し、106.0回を投げて114奪三振を記録した。オフの12月28日に2022年シーズンも楽天と契約を結んだことが発表された。 2022年は23試合に登板して8勝6敗、防御率4.01の成績を残した。しかしシーズン中に負傷したため台湾シリーズでは登録メンバーから外れ、代わりに台湾シリーズ第2戦(楽天桃園野球場)では始球式を務めた。オフに楽天と契約を更新せず、退団した。 ドイツ球界時代2024年2月にドイツ・ブンデスリーガのハール・ディサイプルズに7シーズンぶりに復帰した[4]。 詳細情報年度別投手成績記録背番号
脚注
外部リンク
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