ヘンリー・ソーサ
ヘンリー・ソーサ・エステル(Henry Sosa Esther,1985年7月28日 - )は、ドミニカ共和国のエル・セイボ州出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。CPBLでの登録名は「索沙」。 経歴プロ入りとジャイアンツ傘下時代2004年4月23日に、サンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ。 2006年に、傘下ルーキーリーグのアリゾナリーグ・ジャイアンツでキャリアをスタートした。 2007年は、傘下Aオーガスタ・グリーンジャケッツと傘下アドバンスAサンノゼ・ジャイアンツでプレーした。オフには、母国のウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ(LIDOM)のエストレージャス・オリエンタレスでプレーした。 2008年は、前年同様、傘下オーガスタ・グリーンジャケッツと傘下アドバンスAサンノゼ・ジャイアンツでプレーした。 アストロズ時代2011年7月19日に、ジェフ・ケッピンジャーとトレードでジェイソン・ストッフェルと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[1]。8月10日に、メジャーデビューを果たした。 起亜時代2012年は、先発タイプを補強したかったチーム事情で退団となったホラシオ・ラミレスの代役としてシーズン途中の5月24日にKBOの起亜タイガースと契約した。 2013年も、前年同様、起亜タイガースでプレーしたが、同年限りで退団した。 ドジャース傘下時代2013年12月に、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。傘下AAAアルバカーキ・アイソトープスへ異動となった。 2014年5月16日に、ジェフ・ベネットの加入に伴い解雇された[2]。7試合に先発した。 ネクセン時代2014年5月15日に、退団した元日本ハムのブランドン・ナイトの代役として韓国プロ野球のネクセン・ヒーローズと契約を結んだ[3]。同年は、10勝を記録するも、オフには金銭面で折り合いがつかず自由契約となった。 LG時代2014年12月8日、韓国プロ野球のLGツインズと契約を結んだ。2015年、2016年と2年連続で10勝をあげた。2017年は韓国で自己最多の11勝を記録した。2018年シーズン終了後に退団した。 第一次富邦時代2019年1月13日、CPBLの富邦ガーディアンズと契約したことが発表された。15試合登板で8勝2敗、防御率1.56と好成績を残した。 SK時代2019年6月3日、富邦とKBOのSKワイバーンズとの間で保有権譲渡に関する契約がなされたことが発表され、韓国球界復帰が決定した。SKで9勝を記録するも同年限りで退団する。 第二次富邦時代2020年に富邦ガーディアンズに再び復帰することが決まった。シーズンに入ると9月には5試合を投げ全勝、防御率1.66で月間MVPに輝いた[4]。1年間先発ローテーションを守り続け、リーグ最多の29先発、4完投[5] を果たすなど15勝、防御率3.38を記録した[6]。さらに、ピッチャーの最高のWAR5.61も記録した[7]。 2021年は3月21日の楽天モンキーズ戦で左膝を痛め[8]、翌日に登録抹消となった[9]。リハビリの為5月7日に帰国し、そのまま7月12日に退団した[10]。同年は2試合に投げ1勝、防御率1.80をマークしていた。 楽天モンキーズ時代2022年1月8日、楽天モンキーズと契約した[11]。しかし7月7日に、メキシカンリーグへの移籍を目指し、自らの意向で退団した[12]。 メキシカンリーグ時代2022年7月13日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約した[13]。5試合に登板して1勝1敗、防御率6.75を記録した。2023年1月19日に自由契約となった[13]。 2023年6月27日に同リーグのカンペチェ・パイレーツに入団した[13]。7試合に先発登板して2勝2敗、防御率3.94という成績を挙げたが、8月5日に退団した。 独立リーグ時代2023年8月12日、アトランティックリーグの スパイアシティ・ゴーストハウンズ に入団したが[13]、5試合に登板し2勝2敗、防御率5.53という成績に終わり、9月9日に自由契約となった。 第二次メキシカンリーグ時代2024年は、メキシカンリーグに新規参入したケレタロ・コンスピレーターズでプレーした。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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