ヨッシ・ベナユン
ヨッシ・ベナユン(ヘブライ語: יוסי בניון, ラテン文字転写: Yossi Benayoun, 1980年5月5日 - )は、イスラエル・ディモナ出身の同国代表の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 経歴クラブ1997年、17歳で自国のハポエル・ベエルシェバFCにてプロキャリアをスタートさせる。1年目にして15得点を記録するも、チームは2部に降格してしまう。しかし、この活躍が認められ翌シーズンよりイスラエル・プレミアリーグの名門マッカビ・ハイファFCへ移籍。2000-2001シーズンにはリーグ優勝を達成し、このシーズンのリーグ最優秀選手にも選出された。さらに、2001-2002シーズンにはリーグ連覇を達成した。 2002年、リーガ・エスパニョーラのラシン・サンタンデールへ移籍。バリャドリードとの開幕戦にてリーガデビューを果たす。その後は毎年最終節まで残留争いを演じていたチームにおいて、3シーズンにわたりチームの1部残留に貢献した。また、2004-2005シーズンの33節にはハットトリックも達成している。リーガで3シーズンを過ごし、2005-2006シーズンからは活躍の場をプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCへ移す。 2005年8月13日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦にてプレミアデビュー、FAカップではチームを決勝にまで導いた。 2007年7月12日にリヴァプールFCに移籍。移籍金は推定500万ポンド (約12億5千万円) と見られている。リヴァプールに移籍するにあたり、ベナユンの実力はビッグクラブに見合うものなのか否かという懐疑的な意見が少なからず見受けられた。しかしチームの窮地を救うゴールを幾度も挙げるなど、リヴァプールでも攻撃にアクセントを付けられる貴重な存在として活躍している。特に08/09シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグのアウェーのレアル・マドリード戦では決勝点、4-4という劇的なスコアとなったプレミアリーグのアーセナル戦ではロスタイムでの同点弾を含む2ゴールなど、ビッグクラブを相手にした活躍が高い評価を得ている。 2010年7月2日にジョー・コールと入れ替わる形でチェルシーに移籍金550万ユーロの3年契約で移籍。8月8日のコミュニティー・シールド、マンチェスター・ユナイテッドFC戦でチェルシーでのデビューを飾ると、プレミアリーグ第2節のウィガン・アスレティックFC戦で移籍後初得点を挙げた。しかし、その後は故障に苦しんでわずか7試合の出場に留まり、ゴールも前述の得点が最初で最後のものとなってしまった。 2011年8月31日、レンタル移籍でアーセナルFCに加入した[2]。途中出場がメインだったものの、19試合で4得点を挙げた。2012年9月1日、レンタル移籍でウェストハムに5年ぶりに復帰。 2013年6月30日、チェルシーはフロラン・マルダ、パウロ・フェレイラ、ロス・ターンブルとともにベナユンの契約満了による退団を発表、その後無所属の状態が続いたが、12月10日にフットボールリーグ・チャンピオンシップのクイーンズ・パーク・レンジャーズFCに加入した[3]。 2014年6月7日、古巣のマッカビ・ハイファFCへ復帰した[4]。その後イスラエル国内のクラブを渡り歩き、2019年4月に現役引退を表明した[5]。 代表1996年にU-16UEFA欧州選手権に出場。1998年11月18日のポルトガルとの親善試合で、18歳にしてA代表デビューを飾った。1999年9月5日のEURO2000予選、キプロス戦で代表初得点を記録。イスラエル代表の中心として活躍し、EURO2008予選からはキャプテンを務めている。 1999年9月8日のサンマリノ戦と2010年9月3日のマルタ戦の2度、ハットトリックを記録している。 エピソード2007-2008シーズンUEFAチャンピオンズリーグのグループA第4節、ベシクタシュJK戦ではチームは8-0という大会最多得点差で勝利を収めたが、この試合でベナユンはハットトリックと2アシストの大活躍を見せた。 個人成績
タイトル
脚注
外部リンク
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