ヤマハ・OX10Aヤマハ・OX10A(Yamaha OX10A, やまは・おーえっくす ―)は、ヤマハ発動機が1993年のF1世界選手権参戦用にジャッドと共同開発したV型10気筒のレシプロエンジン。 本記事では同系列のOX10B (1994年)、OX10C (1995年)についても記述する。 OX10AヤマハF1プロジェクトはそれまでのV型12気筒エンジンを止め、1993年からの全く新しいV10エンジンとしてOX10Aを計画した。ヤマハF1プロジェクトリーダーの木村隆昭はV10にした理由を「V12はトップチームであれば使いこなす技術力の広さがありますが、それはフェラーリなどトップチームだからできるんです。中小チームではそれは難しくやはりV10やV8の方が車は設計しやすいし、少ない予算でも可能性が生まれます。V12は高回転になるから燃料も食う。馬力が出ると熱もたくさん出るから大きなラジエーターも必要になる。重量も元々重く、操縦性にもいいことが無い。これだけのハンディを負うと去年ジョーダンで思い知らされましたから、克服するにはもっと多くの予算が必要になります。そこで新しい形式にしようという判断になった。」と述べている[1]。 V10エンジンを作るにあたり、ヤマハはジャッドと技術提携を結んだ。ジャッドは1991年-1992年にV10エンジンでF1に参戦した経験をもっていた。この提携では基本開発はヤマハ、マネージメントをジャッドが行っている。ジャッドはレースに必要なエンジンを組み、メンテナンスを行い必要なスタッフをグランプリ現場に派遣した。この体制をヤマハが選んだのは、前年までのV12からV10という新しい形式のエンジンを作るには、ベースとなるV10エンジンを持っている所と協力したほうが良いとの結論に至り、加えてヤマハはジャッドからF1を勉強する必要があると認識していたためだった。このためOX10エンジンはベースとした「ジャッド・GV」の名称で呼ばれる場合がある。 OX10Aでは、従来の金属性バルブスプリングではなく圧縮空気を使ったニューマチックバルブを採用した。そして低・高速負荷回転時にそれぞれ適切な燃料供給と空燃比設定を行うため、1気筒あたり2基のインジェクターを設けた。木村リーダーは「ジャッドのF1での経験や効率、我々ヤマハのエンジン技術と知識がうまくかみ合って、パートナーシップはとてもうまくいった。」と提携の成功を強調した。 しかし、ティレルが同年使用した3年目となる020Cの剛性劣化、新設計され6月に完成した021のリアモノショックサスペンションの失敗などにより成績は残せず、マシン設計者のマイク・コフランがシーズン半ばにしてチームから去ってしまうなど開発テストすら行われない状況となった。ヤマハは同シーズンを貴重な実戦テストが得られる機会と割り切るしかなかった[2]。 バージョン
OX10B1993年シーズン終了後、ティレルにハーベイ・ポスルスウェイトが復帰し、1994年に向けてティレル・ヤマハの立て直しが始まった。ヤマハの木村リーダーは「ハーベイの加入が大きかった。彼の加入は技術面だけでなく、チームをけん引する意味でも良い影響があった。」と前年との違いを述べている。前年リジェに在籍し、時の最強エンジンであるルノーV10に1年間乗っていたマーク・ブランデル(ウィリアムズ・ルノー、マクラーレン・ホンダのテストドライバー歴も持つ)のティレル・ヤマハ加入が決まり、彼が初めてティレル・ヤマハ(021)をテストした際に木村は「ヤマハのOX10Aエンジンには何が足りない?」と真っ先に質問したところ、「まず最初に、パワーが足りない」と即答された。そこで「じゃあその次は何が足りない?」と聞くと、「低回転でのトルクの出方が急激な印象だ。ちょっとドライブしにくい。」との意見が返ってきたという。これを受け改善に着手、ティレル・022に搭載されて1994年第2戦パシフィックGP予選から、OX10Aのベーシックな部分を見直した'94年用エンジン「OX10B」が投入された。 同年は序盤の重大事故多発により5月以降FIAにより多くの技術レギュレーション変更が即時に断行された。これによりエンジンに空気を送るエアボックスの除去と燃料を市販ガソリンとすることを強いられた。エアボックスの実質廃止政策について木村は「馬力は落ちますが、ものすごく落ちるという事でもない。エアボックスの効果が出るような高速の所、高回転域ではパワーが3%くらい下がりました。でも下の方にはそんなに影響がなかった。」と証言する。また翌1995年から排気量が3500ccから3000ccへの引き下げが発表されたが、「500cc程度の違いはエンジン形式には影響しません。この変更であればどのエンジンメーカーも撤退などとは言わないだろうし、公平な良い改革だと思います。マシン重量が引き上げられたとしても、それなりの対処を考えています。トルク型のエンジンにするとか、可変トランペットもひとつの案としてあります。」とさほど心配していないと述べた。実際に市販燃料の使用規制でヤマハが受けた影響は他メーカーのような深刻なものではなかった[3]。 第5戦スペインGPでブランデルが3位でフィニッシュし、ヤマハエンジン初のF1表彰台を獲得した。ブランデルは開幕前テストからエンジンがかなり進歩したとコメントし、「ルノー・RS5エンジンと遜色ないポテンシャルがある。」と述べた。 バージョン
OX10C1995年からのレギュレーション改定によりエンジン排気量が3000ccへと引き下げられたことに対応したエンジンで、前年使用されたOX10Bの改修版(3000ccへの排気量縮小に対応したストローク量のダウン)である。ジャッド・HVエンジンとも呼ばれる。ティレル・023に搭載された。Aスペックは1995年開幕戦と第2戦に使用され、その後はスペックBとの併用となった。 バージョン
スペック(カッコ内は1995年3000cc規定後)
成績
脚注 |
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