メームード
メームード(Mehmood、1932年9月29日 - 2004年7月23日)は、インドのヒンディー語映画で活動した俳優、歌手、映画監督、映画プロデューサー[1][2][3]。生涯で300本以上の映画に出演し、インドを代表するコメディアンとして知られた[2][4]。 生涯生い立ち1932年9月29日に8人兄弟の次男として生まれた。父のムムターズ・アリーは1940年代から1950年代にかけて活躍した俳優で、妹のミヌー・ムムターズはダンサー・女優、弟のアンワル・アリーも俳優として活動していた[3][4]。 キャリア1943年に子役として『Kismet』に出演し、その後は鶏肉食品の販売や映画監督P・L・サントーシの運転手、ミーナー・クマーリーの卓球指導など複数の仕事を転々とした[3]。1953年にミーナー・クマーリーの妹マドゥーと結婚し、息子マスードが生まれた後に生活の安定を求めて俳優の道に進み、『2エーカーの土地』『C.I.D.』『渇き』などに出演した[3]。役に恵まれなかったメームードだったが、義姉ミーナー・クマーリーの援助を受けることをよしとせず、彼女が出演する『Ek Hi Raasta』に起用された際には、起用された理由が「ミーナー・クマーリーの身内だから」ということを知り降板したという[3]。1958年にラージ・カプール、マーラー・シンハーと共演した『Parvarish』で人気俳優の仲間入りを果たし、その後は『Sasural』『Ziddi』『ラブ・イン・トーキョー』などに出演した[3]。やがて、メームードはハイデラバード地方のウルドゥー語訛りの台詞を得意とするコミックリリーフの演技で高い評価を得るようになった。また、主人公の友人役としても観客の人気を集め[3]、ショーバ・コーテー、I・S・ジョーハル、アルナ・イラニと頻繁に共演した[3]。 1980年代に入るとジャグディープ、アスラーニー、パインタール、デーヴェン・ヴァルマー、カディール・カーンが台頭したことで、コメディ俳優としての人気は低迷した。その後はベンガルールに隠棲して農業を営むようになり、映画に出演する機会は激減した[3]。1990年代にはP・L・サントーシの息子ラージクマール・サントーシが手掛けた『Andaz Apna Apna』で成功を収めたが、これ以外の映画の大半は興行成績が振るわなかった。 死去2004年7月23日にペンシルベニア州ダンモアで心血管疾患のため死去した[2][3][4]。 評価人物評メームードはコメディ俳優として高い人気を誇っており、当時の主演男優の多くが「共演すると存在感が薄れる」という理由で彼との共演を断ったという[3]。また、当時駆け出しの新人だったアミターブ・バッチャンを『Bombay to Goa』に出演させてブレイクするきっかけを作ったほか、R・D・ブルマンやラージェーシュ・ローシャンのブレイクするきっかけを作ったことでも知られている[3]。また、サティーシュ・カウシクは『Padosan』出演時のメームードの演技に感銘を受けて俳優の道に進んだことを明かしており、『Saajan Chale Sasural』で彼をイメージした演技を見せてフィルムフェア賞 コメディアン賞を受賞したという[5]。 受賞歴
出典
参考文献
外部リンク |
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