スタッフォード女伯爵 メアリー・ハワード (英語 : Mary Howard, Countess of Stafford 、旧姓スタッフォード (Stafford )、1620年 頃 - 1693年 1月23日 )は、イングランド貴族 。
生涯
エドワード・スタッフォード(Edward Stafford 、1601年7月9日洗礼 - 1621年4月6日、第4代スタッフォード男爵エドワード・スタッフォード (英語版 ) の息子)とアン・ウィルフォード(Anne Wilford 、ジェームズ・ウィルフォードの娘)の娘として[ 1] 、1620年頃に生まれた[ 2] 。
1637年10月11日、ウィリアム・ハワード (1614年 - 1680年)と結婚[ 3] 、3男2女をもうけた[ 2] 。
ヘンリー (1648年頃 - 1719年) - 初代スタッフォード伯爵
ジョン(1714年11月11日没) - 1682年12月1日、メアリー・サウスコット(Mary Southcott 、サー・ジョン・サウスコットの娘)と結婚、2男4女をもうけた。1708年2月15日、テリーザ・ストリックランド(Theresa Strickland 、ロバート・ストリックランドの娘)と再婚、2男1女をもうけた。第2代スタッフォード伯爵ウィリアム・スタッフォード=ハワード と第4代スタッフォード伯爵ジョン・ポール・スタッフォード=ハワード の父
フランシス(1708年没) - エレノア・スタンフォード(Eleanor Stanford 、1707年没、ヘンリー・スタンフォードの娘)と結婚、子供あり
イザベラ(Isabella 、1691年9月5日没) - 1669年4月までに第5代ウィンチェスター侯爵ジョン・ポーレット (英語版 ) と結婚
アナスタシア(Anastasia ) - ジョージ・ホルマン(George Holman )と結婚、子供あり
1640年9月12日に夫がスタッフォード男爵 に叙されると、メアリーも同日にスタッフォード女男爵 に叙された[ 3] 。同年11月11日に夫がスタッフォード子爵 に叙されると[ 3] 、メアリーはスタッフォード子爵夫人になった。
1678年10月25日に夫が私権剥奪 され、1680年12月29日に夫が大逆罪で斬首刑に処された後もスタッフォード子爵夫人の称号が使用されたという[ 3] 。また、夫の財産も没収されたが、1681年11月にチャールズ2世 よりメアリーに返還されている[ 4] 。
1688年10月5日、長男ヘンリー がスタッフォード伯爵 に叙されると、メアリーも同時に一代貴族 であるスタッフォード女伯爵 に叙された[ 3] 。
1694年1月23日に死去、ウェストミンスター寺院 に埋葬された[ 3] 。スタッフォード女伯爵は一代貴族だったため子孫に継承されず、スタッフォード女男爵は夫が私権剥奪された結果、メアリーの死とともに剥奪され、子孫に継承されることはなかった[ 3] 。
出典
^ "Stafford, Baron (E, 1563 - 1640)" . Cracroft's Peerage (英語). 21 February 2004. 2019年11月2日閲覧 。
^ a b "Stafford, Viscount (E, 1640 - 1680)" . Cracroft's Peerage (英語). 21 April 2008. 2019年11月3日閲覧 。
^ a b c d e f g Cokayne, George Edward , ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 214–216.
^ Paley, Ruth (2016). "STAFFORD-HOWARD (formerly HOWARD), Henry (c. 1648–1719)". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 4. Cambridge University Press . p. 554. ISBN 9781107175259 。