ジョン・スタッフォード=ハワード (第4代スタッフォード伯爵)第4代スタッフォード伯爵ジョン・ポール・スタッフォード=ハワード(英語: John Paul Stafford-Howard, 4th Earl of Stafford、1700年6月26日 – 1762年4月1日)は、イングランド貴族。 生涯ジョン・スタッフォード・ハワード(John Stafford-Howard、1714年11月11日没、初代スタッフォード子爵ウィリアム・ハワードの息子)と1人目の妻メアリー・サウスコット(Mary Southcott、サー・ジョン・サウスコットの娘)の息子として、1700年6月26日に生まれた[1]。 1738年、エリザベス・メアリー・マイケル・ユウェンズ(Elizabeth Mary Michael Ewens、1709年頃 – 1783年1月16日、アブラハム・ユウェンズの娘)と結婚した[1]。 1751年2月28日に兄ウィリアムの息子ウィリアム・マシアスが死去すると、スタッフォード伯爵の爵位を継承した[1]。 1762年4月1日に死去、7日にウェストミンスター寺院に埋葬された[1]。後継者がおらずスタッフォード伯爵位は断絶、剥奪されていたスタッフォード子爵への請求権も継承者がなくなり断絶した[1]。一方、同じく剥奪されていたスタッフォード男爵への請求権は兄ウィリアムの娘3人が継承した[1]。3人とも後継者のないまま1807年までに死去すると、請求権は第4代スタッフォード伯爵の姉メアリー(1765年4月26日没[2])とその夫フランシス・プラウデン(Francis Plowden)の子女に移った[1]。そして、1824年6月17日に爵位剥奪の原因となった初代スタッフォード子爵ウィリアム・ハワード(第4代スタッフォード伯爵の父方の祖父)の私権剥奪が取り消されると、メアリーとフランシス・プラウデンの娘メアリー(1785年没)の息子ウィリアム(1736年 – 1809年)の息子ジョージ・ウィリアム(1771年 – 1851年)が第8代スタッフォード男爵になった[1][3]。 出典
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