マラヤーラム語映画(マラヤーラムごえいが、Malayalam cinema)は、インドの映画のうちマラヤーラム語で製作された映画であり、ケーララ州南部に拠点を置く映画産業を指す。「モリウッド(Mollywood)」の通称で知られ、インドにおいて4番目の規模を誇る映画産業である[3]。
概要
1947年以前のマラヤーラム語映画はサイレント映画2本、トーキー映画3本のみしか製作されておらず、本格的な製作活動が行われるようになったのは20世紀後半に入ってからだった[4][5]。これはケーララ州政府(英語版)の財政支援政策が実施されたことが大きく影響しており、マラヤーラム語映画の年間製作本数は6本(1950年代)、30本(1960年代)、40本(1970年代)と増加し、1980年代には127本の映画が製作された[4]。
1920年代初頭のマラヤーラム語映画の産業拠点はティルヴァナンタプラムに置かれており、1940年代後半までに産業は急速な発展を遂げた。その後、産業拠点は南インド映画の中心地だったマドラスに移行し、1980年代後半までに再びケーララ州に戻った[6]。現在のマラヤーラム語映画ではロケーション撮影、スタジオ撮影、プロダクション、ポストプロダクションの大半はティルヴァナンタプラムとコーチで行われており、複数のメディアではコーチをマラヤーラム語映画の産業拠点と報じている[7][8][9][10]。
マラヤーラム語映画は撮影技法とストーリーラインが現実主義的なことで知られ、『死の玉座』『Vanaprastham』は第52回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で上映された[11][12]。また、『死の玉座』はカメラ・ドールを受賞している[13][14][15]。1982年公開の『Elippathayam』はロンドン映画祭でサザーランド杯を受賞し、英国映画協会の「最も想像的なオリジナル映画」に選ばれている。ラジーヴ・アンチャルの『Guru』、サリーム・アフマドの『アブ、アダムの息子(英語版)』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれている。アドゥール・ゴーパーラクリシュナンの『Mukhamukham』『Anantaram』『Mathilukal』『従属する者(英語版)』『マン・オブ・ザ・ストーリー』『Nizhalkuthu』はFIPRESCI賞を受賞した[16]。この他に国際的な評価を得た作品はシカゴ国際映画祭で賞状、カンヌ国際映画祭で撮影賞を受賞した『Chemmeen』[17]、第31回カンヌ国際映画祭などで31の映画賞を受賞した『Piravi』[12][18]、イタリアのベルガモ映画会議でブロンズ・ローザ・カムナを受賞した『Swaham』[12][13][14][15]、インド初の3D映画『My Dear Kuttichathan』[19]、マラヤーラム語映画初のシネマスコープ映画『Thacholi Ambu』がある[20]。
2010年代に入り、マラヤーラム語映画はスリランカで人気を集めている[21]。これはシンハラ人とマラヤーリの文化的類似性が共感を得ているためと分析されている[21]。
歴史
1950年代以前
1907年にトリシュールにおいて手動操作の映写機を備えた最初の映画館がカットゥーカラン・ヴァラニー・ジョゼフ(英語版)によって設立され、これがケーララ州における最初の映画館となった。1913年にはカットゥーカランによって同地に常設劇場「ジョゼ・エレクトリック・バイオスコープ」が設立され、この劇場は現在では「ジョゼ・シアター(英語版)」と呼ばれている[22][23][24]。
1930年に最初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』が公開された。同作は1928年に製作が始まり、1930年10月23日にティルヴァナンタプラムのキャピタル・シアターで上映された。同作の監督・プロデューサー・脚本を務めたJ・C・ダニエル(英語版)は実業家で映画業界での経験は皆無だったが、現在では「マラヤーラム語映画の父」と呼ばれている[25]。彼は同作の製作に当たり、ケーララ州初の映画スタジオ「トラヴァンコール・ナショナル・ピクチャーズ」を設立している[25]。1933年にC・V・ラーマン・ピラーイ(英語版)の小説を原作としたP・V・ラオの『Marthanda Varma』が公開されたが、公開4日後に著作権を巡り訴訟問題に発展し、フィルムは没収された[25]。
1938年に最初のマラヤーラム語トーキー映画『Balan』が公開され、S・ノッタニ(英語版)が監督、ムトゥクラム・ラガヴァン・ピラーイ(英語版)が脚本を手掛けた[26]。同作は現在のタミル・ナードゥ州セーラムのモダン・シアターズ(英語版)で製作された。ノッタニは1940年に『Gnanambika』を監督し、1941年にはK・スブラーマニアムが『Prahlada』を監督している。
1947年以前のマラヤーラム語映画はタミル人プロデューサーによって製作されていた。最初にマラーティー語映画に参入したマラヤーリはP・J・チェリアンであり[27]、彼の参入後にマラヤーラム語映画は大きな変化を遂げた。彼は1948年にジョゼフ・チェリアン(息子)、ベイビー・ジョゼフ(義理の娘)を主演に迎えて『Nirmala』を製作し、「上流階級の人間は演技をしない」というタブーを破り、家族の多くをプロデュース作品に起用した。また、家族向けの社会テーマを題材にし、映画産業における音楽やプレイバックソングの導入を行ったパイオニアとなった。著名な詩人G・サンカラ・クラップ(英語版)が作詞したプレイバックソングは大衆の人気を集め、これ以降マラヤーラム語映画においてダンス・ソング・シークエンスは重要な要素として認識されるようになった。
1950年代
マラヤーラム語映画は常に文学、ドラマ、政治の要素を取り入れた社会問題をテーマに製作しており、1951年に公開された『Jeevitha Nouka』は大家族制を題材にしたミュージカル映画だった。1954年公開の『Neelakuyil』は国家映画賞 マラヤーラム語長編映画賞(英語版)を受賞した最初の作品となった[28]。同作は著名なマラヤーラム語詩人ウルーブ(英語版)が脚本を手掛け、P・バースカラン(英語版)とラーム・カリアット(英語版)が共同監督を務めた。1955年公開の『Newspaper Boy』はネオレアリズモの影響を受けた貧困問題を題材にしたドラマ映画で、監督のP・ラームダスを始め製作スタッフ全員が大学生だったことが注目を集めた[29]。
映画音楽は従来の主流だったタミル語・ヒンディー語楽曲の模倣を離れ、P・バースカランやO・N・V・クラップ(英語版)などの作詞家が登場した。また、ラクシュマナン兄弟、V・ダクシナムールティ(英語版)、G・デーヴァラージャン(英語版)、バーブラージ(英語版)などの作曲家が独自のマラヤーラム語音楽を手掛けるようになった。
1960年代
『Neelakuyil』の共同監督だったラーム・カリアットとP・バースカランは、1960年代から1970年代にかけて成功を収めた監督となった。この年代の代表作には『Odayil Ninnu』『Bhargavi Nilayam』『Chemmeen』『Murappennu』『Iruttinte Athmavu』がある。1961年には最初のマラヤーラム語カラー映画『Kandam Becha Kottu』が公開された。ラーム・カリアットが監督した『Chemmeen』は大衆の人気を集め、南インド映画で初めて国家映画賞 長編映画賞(英語版)を受賞した。
1960年代のマラヤーラム語映画はナショナリストと社会主義者が製作に関わることが多く、カーストと階級間搾取、反啓蒙主義者との闘い、封建階級の衰退、大家族制の分裂などの社会問題を題材とした映画が主流となった[30]。この年代ではM・クリシュナン・ナーイル(英語版)、クンチャコ(英語版)、P・スブラーマニアム(英語版)などの映画製作者が活躍し、特にクンチャコはウダイ・ピクチャーズ(英語版)を設立して映画産業のマドラス依存の脱却を図り、ケーララ州内での映画製作を促進するなどマラヤーラム語映画界に多大な貢献を果たした。また、時世代を牽引するP・N・メーノーン(英語版)、ゴーヴィンダン・アラヴィンダン(英語版)、アドゥール・ゴーパーラクリシュナンなどが登場した。
1970年代
1970年代に入り、マラヤーラム語映画に新しい潮流が生まれた。映画産業の社会運動の発展により、イタリアとフランスのニューウェーブ監督の作品が輸入されたためである。そんな中、マラヤーラム語映画にはパラレル映画が登場し、1972年にゴーパーラクリシュナンが監督した『Swayamvaram』は国際市場にマラヤーラム語映画を認知させる契機となった。1973年にM・T・ヴァスデヴァン・ナーイル(英語版)が監督した『Nirmalyam』は国家映画賞長編映画賞を受賞し、1975年にアラヴィンダンが監督した『Uttarayanam』は国家映画賞マラーティー語長編映画賞を受賞している。この年代ではマンカダ・ラヴィ・ヴァルマ(英語版)、P・S・ニヴァス(英語版)、シャジ・N・カルン(英語版)が国家映画賞 撮影賞(英語版)を受賞している。また、P・G・ヴィスワンバーラン(英語版)が『Ozhukinethire』で監督デビューし、続けて『Sathyavan Savithri』を製作した。この他にM・G・ソマン(英語版)、スクマラン(英語版)、サディール(英語版)などの俳優が労働者階級の問題を題材にした映画で活躍し、その中でジャヤン(英語版)は純粋なアクション映画のジャンルを確立し、マラヤーラム語映画における最初の商業映画スターとされている。しかし、彼は『Kolilakkam』の撮影中に事故死し、確立されたアクション映画のジャンルは短命に終わった。
1980年代
1980年代のマラヤーラム語映画は、ユーモアと憂鬱さが混在した簡潔なストーリーによって描かれる日常を題材とした作品が主流となった。K・G・ジョージ(英語版)は1982年に『Yavanika』を監督して高い評価を得ており、同時期にはハリハラン(英語版)が監督、M・T・ヴァスデヴァン・ナーイルが脚本を手掛けた『Panchagni』『Nakhakshathangal』『Aranyakam』『Oru Vadakkan Veeragatha』が製作され、ジョン・エイブラハム(英語版)は大衆から直接製作費を集めて『Amma Ariyaan』などの作品を製作した。この年代にはプリヤダルシャン(英語版)、サティヤン・アンティカダン(英語版)、カマル(英語版)、シッディーキー=ラール(英語版)などの監督が登場した。1989年にシャジ・N・カルンが監督した『Piravi』はマラヤーラム語映画で初めてカメラ・ドールを獲得した[12]。
モーハンラール(英語版)とマンムーティ(英語版)は、この時期にマラヤーラム語映画のスター俳優として登場し、モーハンラールは国家映画賞を5回、マンムーティは3回受賞している[31]。
1990年代
1990年代にはゴーパーラクリシュナンの『Mathilukal』、ヴィスワンバーランの『Kattu Kuthira』、バーラタン(英語版)の『Amaram』、カマルの『Ulladakkam』、プリヤダルシャンの『Kilukkam』、シビ・マライル(英語版)の『Kamaladalam』、I・V・サシ(英語版)の『Devasuram』、ファージル(英語版)の『Manichitrathazhu』、T・V・チャンドラン(英語版)の『Ponthan Mada』、バードラン(英語版)の『Spadikam』、シャジ・カイラス(英語版)の『Commissioner』『The King』、シッディーキー(英語版)の『Hitler』、ジャヤラージ(英語版)の『Desadanam』が製作された。
シャジ・N・カルンの『Swaham』はカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された最初のマラヤーラム語映画であり、パルム・ドールにノミネートされた最初のマラヤーラム語映画でもある。1997年にラジーヴ・アンチャルが監督した『Guru』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれた最初のマラヤーラム語映画となった。1999年にムラリ・ナイールが監督した『死の玉座』は第52回カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞している[11]。
2000年代
2000年代に入るとマラヤーラム語映画の品質は低下し、黄金期に活躍した監督たちも興行面・批評面で評価を得られずにいた。その結果、パラレル映画と主流映画との間のギャップが拡大した。2001年公開の『The Guard』は、世界で初めて出演者が1人(カラバワン・マニ(英語版))のみで製作された映画として注目を集めた。この年代はスラップスティックが主流となり、ジョニー・アンソニー(英語版)の『C.I.D. Moosa』、ラール・ジョゼ(英語版)の『Meesa Madhavan』、サシ・シャンカル(英語版)の『Kunjikoonan』などが製作された。同時に過去のヒット作の続編映画が数多く製作され、代表作として『Meghamalhar』『Madhuranombarakattu』『Nandanam』『Perumazhakkalam』『Kaazhcha』などがある。2008年にはマラヤーラム映画アーティスト協会(英語版)の活動資金確保の一環として『Twenty:20』が製作された[32]。
2010年代
マラヤーラム語映画は質の劣化により数年間の停滞を生んだ後、2010年代に入りニュー・ジェネレーション映画の監督たちによって産業が復興された[33][34]。ニュー・ジェネレーション映画の特徴は、新鮮で型破りな題材と技術的に進化した新しい物語にあり[33][35]、これらの映画は過去年間のマラヤーラム語映画とは異なる作品として登場し、映画産業に新しい潮流を作り出した[36]。ニュー・ジェネレーション映画のフォーマットは国際的あるいはインド国内のトレンドに強く影響されているが、それらの題材はいずれもマラヤーリの生活に根差した形式が整えられている[37]。ニュー・ジェネレーション映画は「過去のマラヤーラム語映画の栄光を取り戻した」として高い評価を得ている[38]。
2011年にサリーム・アフマドが監督した『アブ、アダムの息子(英語版)』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれた史上2本目のマラヤーラム語映画となり、同年公開の『Christian Brothers』は当時最も広範囲に配給されたマラヤーラム語映画となり、ケーララ州154センター、インド各州90センター、国外80センターで上映された。この記録は2014年に公開されたアルン・ヴァイディヤナサン(英語版)の『Peruchazhi』によって破られ、同作は国内外500スクリーンで上映された[39]。2013年に公開された『Drishyam』は興行収入が5億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画となり、4言語映画でリメイクされている[40]。2016年公開の『Pulimurugan』は、興行収入が10億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画となった。
マラヤーラム語映画の人材
映画製作者
最初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』を製作したJ・C・ダニエル(英語版)は、同作で監督の他にプロデューサー、脚本、主演を務めている。彼はプラーナ文献を原作とする当時のインド映画と異なり、社会問題を題材に選んでいる[41]。同作は興行的に失敗したものの、その後のマラヤーラム語映画の道を開いた「マラヤーラム語映画の父」と認識されている。1950年代までマラヤーラム語映画にはヒット作を製作できる監督が存在しなかったが、1958年にヒットを記録した『Neelakuyil』が登場し、共同監督を務めたP・バースカラン(英語版)とラーム・カリアット(英語版)が脚光を浴びた[42]。この他に1950年代に人気を集めた監督には、『Newspaper Boy』のP・ラームダスがいる。1960年代から1970年代にかけてはラーム・カリアットが人気を集め、『Neelakuyil』で撮影監督を務めたA・ヴィンセント(英語版)も映画監督として活躍するようになった[43]。
1970年代にマラヤーラム語映画は転換期を迎え、パラレル映画が登場した。このジャンルの中心人物として台頭したのがゴーヴィンダン・アラヴィンダン(英語版)とアドゥール・ゴーパーラクリシュナンだった。また、ジョン・エイブラハム(英語版)やP・A・バッカー(英語版)は政治的題材を取り込み、マラヤーラム語映画に新しいジャンルを確立した。1970年代後半には、パラレル映画の深遠なテーマ性と大衆映画の娯楽性を兼ね合わせた「中流映画(middle-stream cinema)」が登場し、このジャンルを牽引した監督としてP・N・メーノーン(英語版)、I・V・サシ(英語版)、P・G・ヴィスワンバーラン(英語版)、バーラタン(英語版)、K・G・ジョージ(英語版)、パドマラージャン(英語版)が挙げられる[44]。
1980年代から1990年代にかけて各ジャンル間の境界が狭まり、若手の監督がマラヤーラム語映画に登場した。代表的な監督にはプリヤダルシャン(英語版)、バードラン(英語版)、ファージル(英語版)、ジョーシー(英語版)、ハリハラン(英語版)、K・マドゥ(英語版)、サティヤン・アンティカダン(英語版)、カマル(英語版)、シッディーキー=ラール(英語版)がいる。また、著名な脚本家としてT・ダモダラン(英語版)、アンバザティール・カルナカラン・ロヒザダス(英語版)、シュリーニヴァサン(英語版)が挙げられる。
2000年代は映画の品質が低下したものの、シャジ・N・カルン(英語版)、レニン・ラジェンドラン(英語版)、シャーマプラサード(英語版)、ジャヤラージ(英語版)はヒット作を監督して高い評価を得ている。この時期にはブレッシー(英語版)、ラール・ジョゼ(英語版)、ランジート(英語版)、ローシャン・アンドリュース(英語版)、アマル・ニーラド(英語版)、アーシク・アブ(英語版)、Dr.ビジュ(英語版)、ヴィニート・シュリーニヴァサン(英語版)、リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ(英語版)が登場した[45][46]。
作曲家・歌手
ケーララ州において、マラヤーラム語映画音楽は最も人気のある音楽として定着している[47]。映画産業の発展以前はタミル語映画とヒンディー語映画の音楽が人気を集めていた。1948年公開の『Nirmala』で初めてプレイバックソングが映画に取り入れられ、作曲はP・S・ディヴァカルが手掛け、歌手としてP・リーラー(英語版)、T・K・ゴーヴィンダ・ラオ、ヴァスデーヴァ・クラップ、C・K・ラガヴァン、サロージニ・メノン、ヴィマラ・V・ヴァルマが参加している。この中でヴィマラ・V・ヴァルマはマラヤーラム語映画における最初のプレイバックシンガーとされている[48]。
初期のプレイバックソングは、タミル語映画やヒンディー語映画でヒットした曲を使用する傾向にあったが、1950年代に入ると多くの詩人やミュージシャンが独自の曲を作るようになった。1950年代半ばにはマラヤーラム語映画独自のアイデンティティを確立し、ラクマナン兄弟、G・デーヴァラージャン(英語版)、V・ダクシナムールティ(英語版)、M・S・バーブラージ(英語版)、K・ラガヴァン(英語版)、ヴァヤラール・ラーマヴァルマ(英語版)、P・バースカラン(英語版)、O・N・V・クラップ(英語版)、スリークマラン・タンピ(英語版)などの音楽監督、作詞家が登場した[49]。この時代のプレイバックシンガーとしてはカムカラ・プルショーサマン(英語版)、K・P・ウダヤバーヌ(英語版)、A・M・ラージャー(英語版)、P・リーラー、P・スシーラ(英語版)、P・マドゥリ(英語版)、S・ジャーナキ(英語版)がいる。これらのプレイバックシンガーはケーララ州で高い人気を集め、マラヤーラム語映画黄金時代(1960年代 - 1970年代)の一翼を担った。
後にマンナ・デイ(英語版)、タラット・マフムード(英語版)、ラタ・マンゲシュカル、アシャ・ボスレ、S・P・バーラスブラマニアムなどの非マラヤーリ・プレイバックシンガーが人気を集めた。また、ナウシャド(英語版)、ウーシャ・カンナー(英語版)、M・B・シュリーニヴァサン(英語版)、ラヴィ(英語版)、シャーム(英語版)、バッピー・ラヒーリ(英語版)、ラクシュミカント=ピヤリラール(英語版)、サリル・チョーダリー(英語版)、イライヤラージャ(英語版)、ヴィシャール・バルドワジ(英語版)、A・R・ラフマーンなど他の言語映画の作曲家も参入するようになった[49]。1950年代後半から1970年代半ばのマラヤーラム語映画音楽の黄金時代に活躍した人物としてM・K・アルジュナン(英語版)、M・S・ヴィシュワナーダン(英語版)、A・T・ウメル(英語版)、R・K・シェーカル(英語版)が挙げられる。
1961年にデビューしたK・J・イエースダース(英語版)はマラヤーラム語映画音楽に革命をもたらし、K・S・チトラ(英語版)と並ぶ人気プレイバックシンガーとなった。イエースダースは伝統音楽と映画音楽のファン双方から人気を集め[50]、P・ジャヤチャンドラン(英語版)と共に1960年代から1970年代にかけてプレイバックソングを改革した。
1970年代に入ると西洋的でリズミカルな音楽が主流となり、シャームやK・J・ジョイ、ジェリー・アマルデヴ(英語版)が台頭した。ラヴィーンドラン(英語版)はジョンソン(英語版)、M・G・ラーダクリシュナン(英語版)と共にケーララの文化を取り込んだメロディアスでクラシックな音楽を作り出し、マラヤーラム語映画音楽において2度目の革命を主導した。この変革期にはプーヴァチャル・カディル(英語版)、カヴァラム・ナーラーヤナ・パニッカル(英語版)、ビチュ・ティルマラ(英語版)、カイサプラーム・ダモダラン(英語版)、V・マドゥスーダナン・ナーイル(英語版)、ギリーシュ・プテンチェリー(英語版)、カンナル・ラージャン(英語版)、S・P・ヴェンカテーシュ(英語版)、モハン・シサラ(英語版)、オウセッパチャン(英語版)、シャーレス(英語版)、ヴィディヤーサーガル(英語版)が登場した。
現代のマラヤーラム語映画ではラーフル・ラージ(英語版)、プラシャーント・ピラーイ(英語版)、シャーン・ラフマーン(英語版)、ビジバール(英語版)、ゴーピー・スンダル(英語版)、アルフォンス・ジョゼフ(英語版)、ラジェシュ・ムルゲサン(英語版)、ラフィーク・アハメド(英語版)、ヴァヤラール・サラース・チャンドラ・ヴァルマ(英語版)、ヴィジャイ・イエースダース、シュウェタ・モーハン(英語版)、マンジャーリ(英語版)、ジョツナ・ラーダクリシュナン(英語版)などが活躍している。若手の作曲家の中にはラーフル・ラージやプラシャーント・ピラーイのように電子機器やデジタルサウンドなどを用いて作曲している[51]。
ランドマーク映画
祭典
ケーララ州映画賞
ケーララ州映画賞は、マラヤーラム語映画を表彰する映画賞である[76]。当初はケーララ州文化局(英語版)が主催していたが、1998年からはケーララ州映画アカデミー(英語版)が主催している[77]。映画賞は1969年に創設され、文化局と映画アカデミーが任命した選考委員によって審査される。選考委員は通常、マラヤーラム語映画界の人物から任命される。
ケーララ国際映画祭
ケーララ国際映画祭は、ケーララ州都ティルヴァナンタプラムで開催される。1996年に初めて開催され、ケーララ州映画アカデミーが主催している。毎年11月から12月の間に開催されており、インドにおける主要な映画祭の一つとして認知されている[78]。
施設・組織
映画スタジオ
1926年にJ・C・ダニエルによってトラヴァンコール・ナショナル・ピクチャーズが設立され、これがケーララ州で最初の映画スタジオとなった[79][80]。1947年にクンチャコとK・V・コーシーによってウダヤ・ピクチャーズ(英語版)が設立され[81]、同スタジオの存在によってマラヤーラム語映画の製作拠点はタミル・ナードゥ州からケーララ州へ段階的に移行された。1951年にP・スブラーマニアムがメリーランド・スタジオ(英語版)を設立し[82]、この他に主要な映画スタジオとしてスリークリシュナ・スタジオ(1952年)、アジャンサ・スタジオ(1958年)[83]、チスラレーカ・スタジオ(1965年)[84]、ウマ・スタジオ(1975年)[85]、ナヴォダヤ・スタジオ(英語版)(1978年)[86]、チトランジャリ・スタジオ(英語版)(1980年)が設立された[86]。このスタジオの中でアジャンサ・スタジオのみが現存していない。
組織
マラヤーラム映画アーティスト協会(英語版)は、マラヤーラム語映画のスタッフによって設立された団体である[87]。同団体は映画動画の違法配信や加入俳優の利益の保護、業界内の問題の提起と解決を主な活動としている。この他にも保険、賃金改定や福利厚生、映画研究、年金、加入者の子供に対する教育ローンの運用も行っている。この他に業界団体としてケーララ映画製作者協会、ケーララ映画配給業者協会、ケーララ映画興行者連盟、ハイパーリンク・フィルムクラブが存在する[88]。
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