マダイン・サーレハ座標: 北緯26度48分51秒 東経37度56分51秒 / 北緯26.81417度 東経37.94750度
マダイン・サーレハ(アラビア語: مدائن صالح, Madāʾin Ṣāliḥ, マダーイン・サーリフ)は、現サウジアラビア領内に存在していた古代都市である。マダイン・サーレハは「サーリフの町々」を意味し、アル=ヒジュル(Al-Hijr, 「岩だらけの場所」)とも呼ばれた。ヒジャーズ北部に位置し、赤い崖のあるワジの集落Al-`Ula(アラビア語: العلا)からは約 22 km 離れている。古代には、この都市にはサムード人(Thamudis)やナバテア人が住んでおり、ヘグラ(Hegra)として知られた。 考古遺跡群はナバテア人たちが暮らしていた紀元前1世紀から紀元1世紀頃のものが中心で、とくに装飾の施された墓石群が特徴的である[1]。このほか、それ以前に遡る碑文も発見されている。マダイン・サーレハはナバテア人の考古遺跡としては、ヨルダンのペトラに次ぐものである。 2008年の第32回世界遺産委員会で世界遺産リストへの登録が認められた。サウジアラビアでは初の世界遺産である[1]。 クルアーンとマダイン・サーレハ→詳細は「アル・ヒジュル (クルアーン)」を参照
サウジアラビアでは、マダイン・サーレハの遺跡は呪われた場所と考えられている。その根拠となるのが『クルアーン』第15章「アル=ヒジュル」である。そこではアル=ヒジュルの民が使徒の警告を聞き入れずに罰を受けたことが記されている[2]。 そのため、多くの篤信のサウジアラビア国民たちは、政府が公式に観光事業を奨励しているにもかかわらず[3]、当該章句をあまり気にしないムスリムや非ムスリムの観光客に、良い顔をするとは限らないのである。
登録基準この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
脚注
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