マキノ正美マキノ 正美(-まさみ、1911年11月19日[1] - 2005年11月7日)は、日本の俳優、実業家である。本名林 正美(はやし まさみ)で、マキノ家の人間ではないが「マキノ」姓を拝命したものばかりの「マキノ青年派」のメンバーであった。マキノ 政美(読み同)とも名乗った。戦後、実業家に転身、JAF会長等を歴任した。 来歴・人物マキノ青年派五人組1911年(明治44年)11月、三重県一志郡(現在の津市)に生まれる[2]。 1925年(大正14年)8月、13歳のとき、同年6月に設立されたばかりの牧野省三のマキノ・プロダクションに入社する[3]。本名の「林正美」名義で出演を始め、1927年(昭和2年)4月に牧野から、「マキノ正美」と命名される。その一方で同年6月公開の金森万象監督、嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)主演のサイレント映画『青春』では、「林正美」名義で出演、マキノ登六らと共演している。 同年中は作品によってどちらかの名義をクレジットされていたが、1928年(昭和3年)、マキノ家ではないが「マキノ」姓を拝命した5人の若手俳優を「マキノ青年派」と名づけ、売り出した。その結成第1作『神州天馬侠 第一篇』は同年2月3日に公開され、同年中に全4作が製作された[2]。また、同年名古屋に開所、マキノ正博が所長に就任した「中部撮影所」で撮影した現代劇『田中宰相の少年時代』にマキノ潔(マキノ青年派)、松尾文人ら少年俳優と共演した。 1931年(昭和6年)、吉野二郎監督の『里見八剣伝』に出演、「犬村大角」役のマキノ潔とともに、「犬田文吾」役のを演じている。マキノ・プロダクション崩壊後、1932年(昭和7年)に、マキノ商会製作、マキノ正博総指揮によるサウンド版『武人の妻』に主演した。以降は、映画の俳優業から離れている。 実業家として第二次世界大戦後、実業家に転身した。1958年(昭和33年)、東洋シネマを設立、社長に就任する[3]。 1990年(平成2年)6月15日、日本自動車連盟(JAF)の第5代会長に就任する(1990年 - 1993年)。1992年(平成4年)3月24日、AITアジア太平洋地域の会長に就任した[4]。 2005年(平成17年)11月7日、東京都内の病院で肺炎のため死去した。93歳没[5]。俳優業を廃業したのちも、日本映画の父・牧野省三にいただいた名「マキノ正美」を守りつづけた。 おもなフィルモグラフィ
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