マウリシオ・ペジェグリーノ
マウリシオ・ペジェグリーノ(Mauricio Andrés Pellegrino Luna, 1971年10月5日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。マキシミリアーノ・ペジェグリーノは弟であり、彼もセンターバックでプレーする。 経歴選手時代クラブ
1990年にCAベレス・サルスフィエルドからデビューし、クラブの黄金期に4度のリーグ優勝を飾り、1994年にはコパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタルカップで優勝を果たした。1998年夏、ルイ・ファン・ハール監督が率いるFCバルセロナにレンタル移籍し、9月12日のCFエストレマドゥーラ戦 (1-0) でデビューした。1998-99シーズンはかなりの試合に起用され、リーグ優勝を果たした。
1999年にバレンシアCFに移籍し、キャリア最高の時期を過ごした。同じアルゼンチン人のロベルト・アジャラとセンターバックのコンビを組み、2度のリーグ優勝と2003-04シーズンのUEFAカップ優勝に貢献した。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝に進出したが、レアル・マドリードとの同国対決に0-3で敗れて準優勝に終わった。2000-01シーズンも同大会で決勝に進出し、バイエルン・ミュンヘンとの対戦は120分を戦って勝敗の行方がPK戦に持ち込まれたが、ペジェグリーノはPK戦でペナルティキックを外している[1]。バレンシアCFには6シーズンの間在籍し、200試合近い公式戦に出場した。
2005-06シーズン序盤は所属クラブがなかったが、2005年1月、バレンシアCF時代の恩師であるラファエル・ベニテス監督が率いていたリヴァプールFCと6ヶ月の短期契約を結び[2]。リヴァプールFCに在籍した初めてのアルゼンチン人選手となった。プレミアリーグでは12試合、公式戦通算13試合に出場したが、彼のプレーは契約延長を果たすのに十分なものではなく、2004-05シーズン終了後にクラブを離れた[3]。その後デポルティーボ・アラベスと契約し、2005-06シーズンは13試合に出場したが、チームはセグンダ・ディビシオン(2部)降格に終わった。2006年夏、デポルティーボ・アラベスとの契約満了にともなって現役引退した。 代表1997年にアルゼンチン代表デビューした。同年中に3試合に出場し、コパ・アメリカ1997のメンバーにも選ばれた。 指導者時代現役引退後の2006年6月、バレンシアCFのカデッテBの監督に就任した[4]。2008年6月30日にはラファエル・ベニテス監督率いるリヴァプールFCのアシスタントコーチに就任し[5]、UEFAチャンピオンズリーグとFAカップ優勝に尽力した。2010年夏までリヴァプールFCで指導し、ベニテスのインテル監督就任とともにインテルのアシスタントコーチに就任した[1]。同年12月、ベニテスの監督解任を受けてペジェグリーノも解任された。 2012年にはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督に就任する可能性もあったが[6]、5月8日、バレンシアCFと2年契約を結んで監督に就任することが発表された[1]。しかし、成績不振のため、2012年12月に解任された[7]。 16-17シーズンからかつて自身が所属したデポルティーボ・アラベスの監督に就任した。 第3節でFCバルセロナを敵地カンプノウで2-1で下すなど、昇格1年目のチームをリーグ9位に導く躍進の立役者となった。また決勝でバルセロナに敗れたものの、クラブ史上2度目のコパ・デル・レイ決勝進出も果たした。 しかしシーズン終了後の2017年5月29日、退任することが発表された[8]。 6月23日、解任されたクロード・ピュエルの後任としてプレミアリーグサウサンプトンFCの監督に就任した[9]。 2018年6月2日、CDレガネスの監督に就任[10]。2018-19シーズンは13位で終えたものの、翌2019-20シーズンは開幕から未勝利が続き、2019年10月21日に解任された[11]。 2020年4月16日、CAベレス・サルスフィエルドの監督に就任した[12]。 2022年11月29日、クルブ・ウニベルシダ・デ・チレの監督に就任した[13]。 監督成績
タイトル
脚注
外部リンク
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