マイケル・モデスト
マイケル・モデスト(Michael Modest、男性、1971年7月19日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はマイケル・シリジーロ(Michael Cirigilo)。カリフォルニア州サンフランシスコ出身。 人物「モデスト・スマイル」と呼ばれる、笑顔で親指を立てるアピールで知られる。プロレスリング・ノアに、2001年から2005年まで参戦。そのレスリング技術や豊富な技、スキンヘッドの風貌、ユニークな動きの数々で、活躍した。アメリカ・日本のほか、アイルランド・メキシコ・カナダのリングに上がった経験がある。 ドキュメント番組で「娯楽扱いされるアメリカのプロレスに限界を感じている。プロレスをスポーツとして見てくれる日本に行きたい」と語ったほか、自らの主宰団体PWIのロゴに「鉄」という漢字を入れるなど親日家として知られる。 公称体重ではジュニアヘビー級のエントリー(ノアでは100kg未満)であり、シングルではGHCジュニアヘビー級王座を保持したこともあったが、ドノバン・モーガンとのタッグチーム「エクセレンス・インク(Excellence Inc.)」ではヘビー級王座に狙いを定めることが多かった。 私生活では、2人の息子の父である。 略歴1991年、デビュー。APW、UWA、WWF、WCWなどのアメリカマットに参戦。 1999年に公開された、WWEのドキュメント映画「ビヨンド・ザ・マット」に出演(出演クレジットはマイク・モデスト)。 2001年7月、視察に訪れたプロレスリング・ノアの三沢光晴の招聘により来日。タッグパートナーのドノバン・モーガンと共に、同団体の常連レスラーとなる。同年開催の初代GHCタッグ王座決定トーナメントにおいては、10月6日の1回戦で優勝候補のワイルドII(力皇猛・森嶋猛組)を撃破する金星を挙げたが、2回戦で秋山準・齋藤彰俊組に敗退した。 2002年、地元のカリフォルニア州サンフランシスコでモーガンと共にレスリングスクールおよびプロレス団体「プロレスリング・アイアン(PWI)」を設立(PWIは現在はウェブサイトがなくなっている。2005年に解散した模様)。 2003年3月30日、博多スターレーン大会にて雪崩式リアリティー・チェックで金丸義信を破り第6代GHCジュニアヘビー級王座を獲得した。同王座初の外国人王者。アメリカで2度防衛を果たした(相手はビトー・トーマセリー、ドノバン・モーガン)後、2003年9月12日の日本武道館大会で杉浦貴を相手に防衛に失敗(決め技は雪崩式オリンピック予選スラム)、約5か月間保持した同王座を失った。 2004年12月4日、モーガンをパートナーに当時のGHCタッグ王者である三沢光晴・小川良成組に挑戦する。これは、前哨戦の6人タッグで鈴木鼓太郎を断崖式リアリティ・チェックでKOに追い込むなど、三沢組に対し執拗に挑戦を訴えた結果であった。しかし結果は、三沢のアシストからの小川のエメラルド・フロウジョンで敗れた。 現在は、地元サンフランシスコ所在の団体であるプロレスリング・レボリューション[2]やビッグ・タイム・レスリング[3]などを主戦場としているようである。 得意技フィニッシュ・ホールド
その他得意技
連携技
独特の動き
相手からコーナーにハンマースルーで振られた際、そのままトップロープとセカンドロープの間(またはセカンドロープのターンバックル)へ頭から突っ込み、自爆することがある。 タイトル歴
脚注
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