マイア・ヒラサワ
マイア・ヒラサワ(Maia Hirasawa、1980年5月5日 - )は、スウェーデンの女性シンガーソングライター。マヤ・ヒラサワと呼ばれることもある[2]。ストックホルム県ソーレントゥーナ市出身の日系スウェーデン人。 来歴父親が日本人、母親がスウェーデン人。スウェーデン王国ストックホルム県ソーレントゥーナ市生まれ。ヨーテボリに居住。2011年(平成23年)時点で祖父が長崎県在住[3]。 10歳でクラシカル・ピアノを始め、15歳でクワイアーに入団[4]。21歳の頃から自身で作詞作曲を始め、やがて、アニカ・ノリーンが主宰するバンド「ハロー・セーフライド」にバックアップシンガーとして参加した。 2007年初めからソロ活動を始め、1stシングル "And I Found This Boy" がスウェーデン国内のラジオ局でヘヴィー・ローテーションされた。2ndシングル "Gothenburg"[注 1]の発表後、夏季にはスウェーデン国内ツアーを行い、Allsång på Skansen、Hultsfred Festival、Peace & Love、Arvika Festival などの音楽フェスティバルにも参加した。 2008年1月には P3 Guld ナショナル・ラジオ・アワードにおいて最優秀新人賞を受賞し、スウェディッシュ・グラミー賞において数部門でノミネートされた[5][6]。1stおよび2ndシングルが収録されたアルバム『Though, I'm Just Me - NEW EDITION』で4月22日にゴールドディスクを獲得し[7]、スウェーデン国内のiTunesチャートで2週連続のナンバーワンを記録した[5]。 2010年(平成22年)1月、1st EP「Dröm bort mig igen」をスウェーデン国内でリリース[8]した後、1年間の休暇のつもりで日本に渡り、恋人の勤務地である宮城県仙台市に住んで、独学や週2回の語学学校で日本語の勉強をするなどして暮らしていた[3][4][9]。3月22日、東京の原宿UCでライブを行うとやがて曲作りをするようになり、仙台の自宅につくった簡易スタジオで "It Doesn't Stop" を作曲[4][10][11](歌詞に Sendai が入る[12])。8月から同曲は花王「エッセンシャル」のCMソングとして日本で流れ始めた。新曲 "Nerumare" を提供した大塚製薬「ポカリスエット」のCMの放送開始に同期して10月5日には日本語公式サイトも立ち上げ[13]、10月20日には "It Doesn't Stop" で日本メジャー・デビューし、11月からは仙台・東京・大阪・福岡・名古屋でライブ活動も行った[11]。 2011年(平成23年)1月に1年間の仙台滞在を終えて東京に移り、1月19日に日本でのデビューアルバムにあたる『Maia Hirasawa』を発表して、その後はレコーディングなどの仕事をしていた[3]。その間、Billboard JAPAN「Hot Top Airplay」で "It Doesn't Stop" が2週連続(1月31日付および2月7日付)で第1位となった。 3月9日、新曲 "Boom!" を提供したJR九州「祝!九州キャンペーン」のCMが放送開始された[14]。これを機に3月17日にスウェーデンに帰国することにしたため、帰国前に仙台の友達に会いに行こうと3月11日に東京駅に向かっていたところ、池袋駅にて東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、東京に足止めされた[3][15]。3月14日、震災の救援に役立ててもらおうと、収益の全てを日本赤十字に寄付するとした曲 "FRAGILE" を発表。東日本の鉄道網が被災したため、仙台に行くことが出来ないまま帰国した(日本ツアーのため5月に再来日した際、仙台の友人との再会を果たした)[15]。 震災による自粛ムードで曲を提供していたJR九州「祝!九州キャンペーン」のCMが放送中止となる中、ある個人が動画投稿サイト「YouTube」にアップロードしていた同CMのアクセス数やコメント数が急増する現象がおきた。すると4月22日、日本テレビ系列『スッキリ!!』が、同CMの作成秘話や放送中止の過程、動画へのコメント、CM曲を提供したヒラサワへのインタビュー映像などを全国放送した。5月18日には同CM曲となっていた "Boom!" が発売され、5月30日付のBillboard JAPAN「Hot Top Airplay」で第1位となった。同CMは6月2日にギャラクシー賞を、6月下旬に開催されたカンヌ国際広告祭2011では、アウトドア部門で金賞、メディア部門で銀賞、フィルム部門で銅賞を受賞し[16]、CM曲を提供したヒラサワへの注目も集まった[17]。 2015年(平成27年)7月11日(東日本大震災の月命日)、震災の被害から復旧し同年5月30日に全線開通したJR仙石線(宮城県仙台市・あおば通駅 - 同石巻市・石巻駅)沿いで開催された「SENSEKI TRAIN FES」に出演した[18][19]。 ディスコグラフィーシングル
アルバム
ミニアルバム
EP
タイアップ
脚注注釈
出典
外部リンク
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