ポッツタウン (ペンシルベニア州)
ポッツタウン(英: Pottstown)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州のモンゴメリー郡にある町(ボロ)。人口は2万3433人(2020年)。フィラデルフィアの北西55キロメートル、レディングの南東24キロメートルに位置し、スクーカル川に沿っている。 町は1752年から1753年に設立され、設立者ジョン・ポッツにちなんでポッツグローブと名付けられた。1815年にボロとして法人化されたときにポッツグローブからポッツタウンに改名された。1888年、領域をかなり広げた。ポッツタウンは生産的な農業と酪農業地帯の中心である。 昔は鉄鋼業が大変盛んに営まれていた。大型の圧延工場、製鋼炉、釘の工場、繊維工場、橋の組み立て工場、農業機械工場、ボイラーと機械の工場、鋳物工場、レンガ、絹、シャツ、靴下などの工場があった。1900年の人口は13,696人だった。 ユーングリング・ビールで有名なスクーカル郡ポッツビル市は位置も近いので、混同しないようにする必要がある。 歴史現代のポッツタウンは、当初ウィリアム・ペンに譲渡された土地に設立された[2]。ヨーロッパ人開拓者の中でもドイツ人、スウェーデン人、イングランド人がこの地域に多く入植した。1714年に最初の鋳造所が設立された後、ポッツタウンは鉄鋼業と結び付けられるようになった。 最後は鉄の、後には鋼生産用の溶鉱炉がこの地域に設立された。鉄鋼の生産によって、ポッツ家は地域にとっての鉄の支配者となった。地域で鋳造所を設立し、マナトーニー・クリークの西に大きな家を建てた。ジョン・ポッツは1761年に、自分の所有する995エーカー (4.03 km2) の土地の一部に町を設立した。そこには国内最古の工場であるポッツタウン・ローラー・ミルがある。 ポッツグローブは時間を掛けて成長し、1815年、ポッツタウンという名前で、ペンシルベニア州ではノリスタウンに次ぐ2つ目のボロとして法人化された。 レディングとフィラデルフィアを繋ぐフィラデルフィア・アンド・レディング鉄道本線が1838年にはポッツタウンまで開通した。1842年にマウントカーボンまで延伸され、それが原材料と製品の輸送を助け、ポッツタウンの経済が成長した。その延伸から数年も経たないうちに、人口は600人から1,850人と3倍になった。ポッツタウンの金属生産量が増え、ここで生産された鉄鋼がパナマ運河やゴールデンゲートブリッジに使われた[3]。 1944年、ポッツタウンはボロ・マネジャー方式の政府を採用した。1964年までに政府を再編成する必要性に迫られていた。当時は行政委員会の委員が20人おり、州内でも最大級の行政委員会となっていた。ボロ領域の区割りを見直し、委員の数を7人に減らした。 ハイストリート歴史地区、オールド・ポッツタウン歴史地区、ポッツグローブ邸宅、グラブ邸宅、ジェファーソン小学校、ポッツタウン・ローラー・ミル、レディング鉄道ポッツタウン駅、ヘンリー・アンツ邸がアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている[4]。 政治と政府
ポッツタウンはボロ・マネジャー方式の政府形態を採っており、1人の首長と7人の委員による行政委員会がある。 アメリカ合衆国下院議員の選挙でペンシルベニア州第6選挙区に属し、州議会下院では第146選挙区に、同上院では第44選挙区に属している。 地理ポッツタウンは北緯40度14分59秒 西経75度38分25秒 / 北緯40.24972度 西経75.64028度 (40.249690, -75.640262)に位置している[5]。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、領域全面積は4.9平方マイル (13 km2)であり、このうち陸地4.8平方マイル (12 km2)、水域は0.1平方マイル (0.2 km2)で水域率は1.83%である 気候ポッツタウンの気候は暑く湿気た夏と、概して温暖から冷涼な冬が特徴である。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候、略号では "Cfa" に分類される[6]。
人口動態
2010年国勢調査時点での、人種別人口構成は、白人 72.1%、黒人 19.5%、インディアン 0.3%、アジア人 0.9%、太平洋諸島系 0.1%、混血 4.4%、ヒスパニック系 8.0% となっている[10]。 以下は2000年の国勢調査による人口統計データである[9]。
交通ポッツタウンを通る東西方向の幹線道はハイストリートであり、東のリッジパイク・ボロまで続いている。南北方向の幹線道はハノーバー通りである。高速道のアメリカ国道422号線が町の南を通り、東はキング・オブ・プルシアやフィラデルフィアに、西のレディングに通じている。ペンシルベニア州道100号線は南北に通り、南のウェストチェスター、北のアレンタウンに通じている。ペンシルベニア州道663号線は州道100号線に始まり、東にキング通りを辿り、北東のシャーロット通りからボロを離れ、ペンズバーグとクエーカータウンに向かう。州道724号線はスクーカル川の南岸を通ってチェスター郡に入る[12]。 ポッツタウンと周辺の町のバス便は、公有で民営のものがある。ポッツタウン・ボロがそのシステムを所有し、資金を手当てし、管理している。日々の運営はポッツタウン地域高速交通が行っている。南東ペンシルベニア交通局の93系統はポッツタウンとノリスタウンを結んでいる。 市内には一般用途のポッツタウン市民空港があり、また付近のリマリックにはポッツタウン・リマリック空港もある。 レディング/ポッツタウンとフィラデルフィアの間の旅客鉄道は、1981年7月29日まで南東ペンシルベニア交通局の管轄下にコンレールが運行していたが、この日で運行を停止した。スクーカル・バレー・メトロなど通勤列車を復活する動きは失敗した。駅は今も残っており、地区裁判所が入っている。 教育公共図書館
カレッジ
公共教育学区
私立学校
メディア新聞ポッツタウンで発行される新聞「マーキュリー」は、アメリカ合衆国で最も発行部数が少ない新聞と言う特徴がある。またそのスタッフのうち2人がピューリッツァー賞を獲得して来た。最初は1979年、トム・ケリーがスポットニューズ写真部門で、次に1990年トム・ヒルトンが論説部門で受賞した。 テレビとラジオポッツタウン・コミュニティ・テレビはポッツタウン・ボロが所有運営している。モンゴメリー郡西部、チェスター郡北部、バークス郡東部の77,000以上の家庭にコムキャスト・ケーブルテレビを通じて政府アクセステレビを流している。1983年から放送を開始し、現在は3つのチャンネルで番組を流している[14]。 このテレビ局では地元の高校が行うフットボール、バスケットボール、水泳、野球などスポーツも放映している。 AMラジオ局のWPAZはフィラデルフィア都市圏に放送している、伝統的なクリスチャン音楽や讃美歌などを流している。 著名な出身者脚注
外部リンク
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