ホール落語
ホール落語(ホールらくご)は、演芸を上演する目的で造られた寄席や演芸場ではなく、通常は演芸を上演しない劇場やホールで開催される落語会のこと。あくまで俗称であるが、メディアでは便宜上使われている[注釈 1]。 概要明確な定義はないが、ホール落語は通常、一定以上の力量を持つ複数名の落語家が競演する[注釈 2]。出演者は落語協会、落語芸術協会、落語立川流、円楽一門会および上方落語協会所属の落語家が混合して出演する[注釈 3]。 演目はすべて落語だけで、寄席と決定的に違う点としては漫才、奇術などの色物は出演しない。また大銀座落語祭などのようなイベントとも異なる。一人あたりの上演時間は長くとられ[注釈 4]、寄席ではかけられない、あるいはかけても省略したり途中でサゲるような大きな演目を、きっちりと最後まで聞くことができる。ネタ出し[注釈 5]する会も多い[注釈 6]。「桂○×独演会」、「○馬・三△二人会」、「×○ホール新春寄席」など不定期に行われる落語会は、基本的に月一回のペースで定期的に開催されるホール落語とは区別される。 1960年代以降はホール落語全盛といわれている。寄席が儲からない時もホール落語には観客が詰めかけた。[要出典] 東京落語の質を保つための努力が明治期からなされてきた。お座敷やドサ周り興行等ではない、「落語を愛するファンによる、ファンのための落語会」は戦前から試行的に行われてきた。それらは戦後、より強力に推進されることになった。完全な個人でも、熱意と人脈を持って良心的落語家と良識的観客とをともに獲得し得た。[独自研究?]また、東京ならではの特色として、放送局の収録用の落語会もホール落語として長く続いている。 代表的なホール落語会三越落語会東京落語会
紀伊國屋寄席第五次落語研究会(TBS落語研究会)
にっかん飛切落語会
朝日名人会= 朝日いつかは名人会
東横落語会(第1期・終了)
イイノ精選落語会(終了)
東西落語研鑽会(終了)トピックス湯浅喜久治の東横落語会と矢野誠一の精選落語会はレギュラー制を敷いていた。レギュラーは次の通り。 東横落語会のほうは最後には全員が、精選落語会では可楽を除いて、全員落語協会会員である(三木助は最晩年に日本芸術協会を脱退して落語協会に加入)。つまり(まともな)落語ファンや「通」が好むのは落語協会で、当時全盛を誇っていた日本芸術協会ではない[独自研究?]ということがメンバー選定によって図らずも明らかになった。 矢野は志ん生の大ファンである。三木助も入れたかった。しかし、精選落語会開始時にはもう三木助は死んでおり、志ん生は病に倒れた後であった。正蔵と可楽はその穴埋めだった。しかし、矢野にはうれしい誤算があった。アンケートから判明した事実として、可楽のファンが世間に驚くほど多く、大挙してホールを訪れているのであった。可楽の語り口には他人にまねできない独特の味があり、「可楽が死んだら落語は聞かない」というファンが多かったのだ(『落語家の居場所』)。 もちろん、志ん生が復活した後はどんどん出演してもらった。志ん生も末期には重要性の低い仕事はどんどん切っていき、最後まで続けていたのは精選落語会だけだった。志ん生最後の高座は精選落語会である[注釈 7]。 TBS落語研究会の出演はTBS専属落語家が中心となる。それは
といったメンバーであった。 以上紹介した三つの会に、文楽・円生・小さんの三人が共通して入っていることに注目してほしい。すなわち彼らこそ戦後の古典落語の頂点であったのだ。 また東西落語研鑽会の主力は当然、主催の六人の会メンバーである。 チケット寄席の類と異なり、発足時からチケットはほぼ全席前売り発売され、当日券はまったく存在しないか、わずかしか用意されない。どちらもすぐに売り切れる。入手が困難であった。 特に東西落語研鑽会は常連客向けチケット先行販売で殆どの席が売り切れ、一般客にとって極めて入手困難だった。 なお東京落語会は基本的に会員制であったが、2020年10月~2021年3月まではぴあでの発売となった。 落語研究会は春に一年間の通し券を購入するのが一般的。朝日名人会も通し券システムを導入しているが、ともに少数の一回券・当日券が出る場合がある。 上方落語戦前、戦時中は5代目笑福亭松鶴が中心となって上方はなしを聴く会が行なわれたりしていた。戦後は長年定席の寄席が存在しなかった事や2代目春團治死後、スター不在となった上方落語界を盛りたてる意味でABCやNHKが企画した落語会が昭和30年代にスタート。 脚注注釈
出典
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