彼が生まれた小さな町には、音楽に活発な興味を示している者がただ1人しかいなかった。それはある店の従業員で、午後になると彼が趣味でフルートを吹く音色が聞こえてきた。ある夜、4歳のベルンハルトは壁にもたれかかりながら通りに腰掛けていた。甘美な旋律に酔った彼は有頂天であった。長い時間息子を探し回った両親は厳しく彼をしかりつけたが、それでも彼は次の晩もそのお気に入りの場所に出かけていくのをやめなかった。今回は息子の反抗的な態度に両親は彼を殴りつけたが、それでも無駄だと分かると2人は彼を「狂った」ままにしておいた。フルートの音が聞こえなくなれば、すぐに家に帰ってくるだろうと考えたのである・・・。 — Biography of B. H. Crusell[4]
クルーセルはストックホルムで、フランスの在スウェーデン大使と知り合いとなる。この友人関係をきっかけとして、彼は1803年にパリへの旅に出ることができた。パリでは演奏を行うとともに、まだ新しかったパリ音楽院でジャン=ザビエル・ルフェーヴルの下でクラリネットを学んだ[5]。ルフェーヴルの薦めに従い、彼は6月2日にMichel Amlingue(1741年–1816年)製のマウスピース、9月14日にはジャン・ジャック・バウマン(Jean Jacques Baumann)製の6度のC管のクラリネットを購入している[11]。クルーセルは1800年頃まで上方に曲がったリードを使用していたが、その後下方に曲がったものに変えており、これは現代と同様のよりカンタービレに適した位置取りである[6]。彼がこれを取り入れた時点ではまだ未発達だったのは確かだが、彼は歯並びが悪く、そのため上向きのリードの取り付けを好んだのだろう[12]。
クルーセルはキャリアを築いていく中で、スウェーデン、ドイツ、そしてイングランドでもクラリネットのソリストとしてよく知られるようになっていった[5]。彼はモーツァルト、ベートーヴェン、ジャダン、クロンマー、ルブラン、ヴィンターや他の作曲家の作品を演奏した[6]。50を超える演奏会評がありながら(大半はドイツのAllgemeine musikalische Zeitungである)、否定的な評は1つも見られない[16]。スウェーデン新聞(Svenska Tidningen)の音楽批評家だったカール・アブラハム・マンケル(Calr Abraham Mankell 1802年-1868年)は、丸みを帯び、楽器の音域のどこを吹いても一様なクルーセルの音色を称賛していた[5]。また、クルーセルの演奏ではピアニッシモが高く評価されていた[6]。「彼が宮廷楽団で長年にわたり最も高給を得ていたという事実は、彼の名声を示唆するものである[2]。」
作曲家としてのキャリア
1791年から1799年にかけて、クルーセルは作曲と音楽理論をヨーゼフ・ゲオルク・フォークラーに師事した。またもう1人のドイツ人教師、ダニエル・ベリッツ(Daniel Böritz)がストックホルム在住であった際には彼にも師事した。1803年にパリに滞在していた際には、音楽院でフランソワ=ジョセフ・ゴセックとアンリ・モンタン・ベルトンの指導を仰いだ。彼の作品には協奏曲や室内楽の、クラリネットのみならず他の宮廷楽団の木管楽器奏者のためのものがある。1811年にライプツィヒに赴いた際には、その後1814年にペータース社の一部となる音楽出版社のBureau de Musiqueと関係を築いた[2][6]。
完成年 1808年? もしくは 1810年; ライプツィヒ、Musique de Bureau 1811年もしくは1812年出版
演奏時間 約22分
他の版
Fabian DahlströmがMargareta Rörbyの協力を得て校訂した版。 Stockholm: Edition Reimers, 1995, facsimile score (xxi, 158 pages; includes prefatory notes in English and Swedish and "Critical commentary", pp. 153–158) OCLC34351150.
Brent Coppenbargerによるピアノ伴奏版。Wiesbaden [etc.]: Breitkopf & Härtel, 2000 (copyright 1990, Monteux: Musica Rara), score (45 pages) and part OCLC66044639.
Harri Ahmasによるピアノ伴奏版。 Helsinki: Musiikki Fazer Musik, 1984, FM 06658-9, score (33 pages) and part (8 pages) OCLC12886100, 472360592; reprint [Helsinki?]: Warner/Chappell Music Finland, 1995, ISBN 978-951-757-485-3, OCLC49790635.
クラリネットと管弦楽のための「Introduction et Air suedois」 Op.12
クラリネットと管弦楽のための序奏と変奏曲 Op.12とも呼ばれる
Olof Åhlströmによる大衆歌謡「Supvisa」に基づく
初演 1804年 初演時の曲名「歌曲『少年よ、杯を乾かせ』による変奏曲 Variationer på visan: Goda gosse, glaset töm」
校訂、出版 ライプツィヒ 1830年
他の版
Hamburg: Musikverlag Hans Sikorski, 1983, plate H.S. 1263 K, score (23 pages) and part (7 pages) OCLC271806031.
Hillila, Ruth-Esther and Barbara Blanchard Hong (1997). Historical dictionary of the music and musicians of Finland. Westport, Conn.: Greenwood Press. ISBN 978-0-313-27728-3.
Rendall, F. Geoffrey (1971). The Clarinet (Third Edition). London: Ernest Benn. pp. 140–1
非引用文献
Dahlströhm, Fabian (1976). Bernhard Henrik Crusell: klarinettisten och hans större instrumentalverk. Helsingfors: Svenska litteratursällskapet i Finland. Language: Swedish. ISBN 978-951-9017-21-1. OCLC2695486.
Kallio, Ilmari (1994). Bernhard Henrik Crusell (1775–1838). Uusikaupunki: Crusell-Society. Language: Finnish. OCLC246856237.
Spicknall, John Payne (1974). The solo clarinet works of Bernard Henrik Crusell (1775–1838). Thesis—University of Maryland. OCLC5665626.
Wilson, Sven (1977). Bernhard Crusell: tonsättare, klarinettvirtuos. Stockholm: Kungliga Musikaliska Akademien (Royal Swedish Academy of Music). Language: Swedish. ISBN 978-91-85428-07-6. OCLC185869706. Note: Includes extracts from Crusell's diaries of journeys abroad in 1803, 1811 and 1822. OCLC4882756.