ヘッケルフォーン
ヘッケルフォーン(ドイツ語: Heckelphon)は、20世紀はじめに発明されたダブルリードの木管楽器。オーボエより1オクターブ低い音域を持つ。バリトンオーボエ[注 1]と音域は同じだが管が太く、音色はかなり異なる。 かなり珍しい楽器で、1904年から2020年までに製作された楽器の数は175台以下と推測されている[1]。 概要ヘッケルフォーンは管の直径がオーボエの2倍あり、豊かで充実した音色を持つ[2]。リードはファゴットのものと同じぐらいの大きさである[2]。リードのつけられる管は金属製のクルック(曲管)になっている。管長は120センチメートルあまりあり、その先にコーラングレと同様の球根形のベルがついている。その先端にはエンドピンがあり、床に置いて演奏する[2]。 C管ヘッケルフォーンは「い」(A2)から「2点ト」(G5)までの音域を持つ[3]。ほかに短3度高いE♭管ヘッケルフォーンと、完全4度高いF管のピッコロヘッケルフォーンも作られた[3]。 通常のオーボエより1オクターブ低い楽器は1700年代ごろから時々製造が試みられてきたが、ダブルリードの低音楽器としてすでにファゴットがあったこともあり、広く使われることはなかった。1825年ごろにフランスのトリエベールがバリトン・オーボエを作ったが、これは底部管がファゴットのように折れ曲っていた。オーボエと同様の直管型のバリトン・オーボエは1839年にF.ロレによって製造された[4][5]。バリトン・オーボエは内径の断面積が通常のオーボエの約2倍あったが、音色が弱々しいという不満があった[2]。 ヘッケルフォーンは1904年にドイツの楽器製作者であるヴィルヘルム・ヘッケルによって発明された。ヘッケルは1879年にリヒャルト・ヴァーグナーと会ったが、その時にオーケストラがバリトン音域のダブルリード楽器を欠いていることをヴァーグナーが嘆いていたことから作成を思い立ち、試行錯誤の末に1904年にC管ヘッケルフォーンの最初のモデルを完成した[3]。 使用ヘッケルフォーンは発明されるとすぐにリヒャルト・シュトラウス、マックス・フォン・シリングス、エンゲルベルト・フンパーディンクらの注目を集めた[6]。中でもリヒャルト・シュトラウスは『サロメ』(1905)で重要なパートをヘッケルフォーンに割りあてた[3]。リヒャルト・シュトラウスはほかに『エレクトラ』(1909)や『アルプス交響曲』(1915)でもヘッケルフォーンを用いている[2]。 フレデリック・ディーリアスは『人生のミサ』(1905)、『ダンス・ラプソディ第1番』(1908)において「バス・オーボエ」を指定しているが、後にヘッケルフォーンを使いたかったとしている[2]。 バリトン・オーボエの代用としてヘッケルフォーンを使うこともある[3][2]。 室内楽曲で使われることは少ないが、パウル・ヒンデミットは『ピアノ、ヴィオラ、およびヘッケルフォーンのための三重奏曲』(1929)を書いている[2](ただし、ヘッケルフォーンのかわりにテナーサクソフォーンを使うこともできる)。 第二次世界大戦後ではカレヴィ・アホがヘッケルフォーンを使った管弦楽曲を数多く書いている[2][7]。 脚注注釈
出典
外部リンク
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