フランシス・シーモア=コンウェイ (初代ハートフォード侯爵)初代ハートフォード侯爵フランシス・シーモア=コンウェイ(英語: Francis Seymour-Conway, 1st Marquess of Hertford, KG, PC, PC (Ire), 1718年7月5日 - 1794年6月14日)は、イギリスの貴族、外交官、政治家。 駐フランス大使(在職:1763年 - 1765年)、アイルランド総督(在職:1765年 - 1766年)、宮内長官(在職:1766年 - 1782年)などを歴任した。1732年に父からコンウェイ男爵の爵位を継承し、1750年にはハートフォード伯爵、1793年にはハートフォード侯爵に叙せられた。 経歴1718年7月5日、初代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイとその妻シャーロット(旧姓ショーター)の長男として生まれる[1][2]。サマセット公爵シーモア家の分流の家柄であった。 イートン校を卒業した[3]。1732年2月3日の父の死により第2代コンウェイ男爵位(イングランド貴族爵位)と第2代コンウェイ=キルルター男爵位(アイルランド貴族爵位)を継承した[3][2]。 1750年にアイルランド王国枢密顧問官(PC (Ire))に列し、同年8月3日にはハートフォード伯爵位とビーチャム子爵位(いずれもグレートブリテン貴族)を与えられた。この2つの爵位は弟ヘンリーへの特別継承権を認めていた[3][2]。 1757年にガーター勲章を受勲[3]。1757年から死去までウィリックシャー知事を務め、1763年にはグレートブリテン王国枢密顧問官(PC)に列する[3][2]。 1763年から1765年にかけて駐フランス大使を務めた[3][2]。1765年から1766年まではアイルランド総督を務めた[3][2]。ついで1766年から1782年まで宮内長官を務めた[3][2]。その間の1766年9月から11月にかけて主馬頭[3]、1775年から1776年にかけてモントゴメリーシャー知事も務めた[3][2]。 1793年7月5日にはハートフォード侯爵位とヤーマス伯爵位(いずれもグレートブリテン貴族)を与えられた[3][2]。 翌1794年6月14日に死去した。爵位は長男フランシスが継承した[3][2]。 栄典爵位1732年2月3日の父の死により以下の爵位を継承[3][2]。
1750年8月3日に以下の爵位を新規に与えられる[3][2]
1793年7月5日に以下の爵位を新規に叙される[3][2]。
勲章
家族1741年に第2代グラフトン公爵チャールズ・フィッツロイの娘イザベラ(1726年 - 1782年)と結婚。彼女との間に以下の13子を儲けた[3][2]。
脚注注釈出典
外部リンク
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