ピエール・デュポン (指揮者)ピエール・レオン・デュポン(Pierre Léon Dupont、1888年5月3日 - 1969年9月18日)はフランスの指揮者、編曲家。 来歴パ=ド=カレー県サントメールに生まれ、同地の国立音楽学校でフルートをアンリ・フィユールに学んだ後、1905年にパリ音楽院に入学して和声とフルートを学び、軍楽隊での経験を経て、1927年にコンクールでギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の第6代楽長に選任され、1944年までその任に就いた。 その後、SACEM(fr:Société des auteurs, compositeurs et éditeurs de musique、フランスの著作権管理団体)の副会長などを務めたが、1969年にオー=ド=セーヌ県シュレンヌで没した。 ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の楽長時代には、1933年に楽員の定員を77名から83名に増員し、コントラバスクラリネットやハープを導入して編成の充実を図った。また、管弦楽曲などからの吹奏楽編曲を数多く手がけてレパートリーの拡張に力を注ぎ、楽団の黄金時代を築いた。これらの編曲作品の多くは出版され、日本を含め他の吹奏楽団によっても演奏されている。 主要作品吹奏楽編曲
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