フランソワ=ジュリアン・ブラン

フランソワ=ジュリアン・ブラン(François-Julien Brun, 1909年6月18日 - 1990年5月13日[1][2][3]は、フランス出身の指揮者フルート奏者、作曲家[4]

サン=テティエンヌの生まれ。パリ音楽院フィリップ・ゴーベールマルセル・モイーズ等にフルートを学び、1928年には一等賞を得た。また、和声や対位法などでも一等賞を得ている。1937年までにはギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のフルート奏者として活躍するようになったが、1945年から1969年まで、同楽団の楽長を務めた。1961年にはギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団と来日を果たしている。同楽団の楽長を退任後は指揮者としてコンセール・ラムルーコンセール・パドルー等に客演した。

パリにて死去[5]

脚注

  1. ^ FRANÇOIS-JULIEN BRUN 1909 - 1990 Compositeur”. 2019年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月16日閲覧。
  2. ^ WindMusic:BRUN, François-Julien”. 2015年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月18日閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ フランソワ=ジュリアン・ブラン - Discogs(英語)
  4. ^ フランソワ=ジュリアン・ブラン - IMDb(英語)
  5. ^ アーカイブ 2018年10月14日 - ウェイバックマシン
先代
ピエール・デュポン
ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団 楽長
1945年 - 1969年
次代
ロジェ・ブトリ