ビスレットゲームズ
ビスレットゲームズ(Bislett Games)は、ノルウェー・オスロのビスレット・スタディオンで例年6月に行なわれる陸上競技大会。ダイヤモンドリーグを構成する一大会であり、2009年まではIAAFゴールデンリーグの一大会として行なわれていた。エクソンモービルが大会を後援しており、エクソンモービル・ビスレットゲームズ(ExxonMobil Bislett Games)として知られている。日本ではビスレーゲームズ、ビスレー大会、あるいはオスロ国際、ダイヤモンドリーグオスロ大会、DLオスロなどとも表記される。 歴史ビスレットゲームスは多くの世界新記録を誕生させた大会として知られている。過去の開催時期は6月から8月であり、一時期はIAAFゴールデンリーグの開幕戦となっていた。2011年現在、トラック・フィールド合わせて25種目が行なわれ、このうちの17種目がダイヤモンドグランプリに指定されている。夕方から夜にかけて行なわれ、入場料は350クローネからとなっている[2]。選手と観客席の距離が近く、観客の熱心な応援に包まれる[3]。好記録が生まれるため選手からの評価が高い大会である[4][5]。世界ランキング上位の選手が集まる大会であるためにいずれの種目も人気があるが、中長距離種目が売りであり、とりわけメインイベントの1マイル競走はドリームマイル(Dream Mile)と呼ばれて人々に長く愛されている[6][7]。 ビスレットゲームズの前身は1924年にオスロで創設された国際大会、アメリカンミーティング(The American Meetings)である。第1回大会には、後にIAAF会長を務めることになるアドリアン・ポーレンが500mの選手として出場している[8]。大会は1937年までアメリカンミーティングの名で行なわれていた。1937年から1965年の間は主催者が入れ替わり、違う名前で大会が行なわれていた[8]。その後1965年になり、ノルウェーの陸上競技クラブチームであるBUL、ヴィダル(Vidar)、Tjalveがビスレット連合を形成。このうちのBUL会長Arne Haukvikにより現在のビスレットゲームズが創設された[8]。Haukvikはノルウェー陸上競技連盟の役員を務めた経験があり、後にオスロ市議会議員となった。Haukvikはビスレットゲームズ前日に自宅へ選手・スポンサー・報道関係者を招いて、伝統的なストロベリーパーティーを催すことで知られていた[9]。Haukvikは2002年癌のためにこの世を去ったが、大会前日のこの慣例は今も続けられている。死去翌年の2003年大会はThe Arne Haukvik Memorial Bislett Gamesとして行なわれた[9]。 1980年代に入った頃、陸上競技の世界に選手のプロ化、大会の賞金レース化の波が押し寄せていた。1985年、IAAFは賞金レースであるIAAFグランプリ(IAAFモービルグランプリ)を創設。この時ビスレットゲームズもその1つに加えられた。1998年のゴールデンリーグ、2010年のダイヤモンドリーグとIAAFの改革を経た後も、ビスレットゲームズは常に最上級の大会として定義され続けている。 ビスレットスタディオンこれまでに69の世界新記録を生み出す舞台となったビスレット・スタディオンは、ヨーロッパの名競技場として知られる[10]。1922年完成、第二次世界大戦直後の1946年にヨーロッパ陸上競技選手権大会が開催された歴史を持つ[11]。1952年のオスロオリンピックのメインスタジアムとして使用された。オリンピックではアイススケートやフィギュアスケートの会場となり、1925年から1988年までの間は陸上競技場とスケート場の機能を兼ねていた[12]。 旧競技場の収容人数は20000人であり、1994年のビスレットゲームズには18000人の観客を集めている[13]。1999年にスポーツ・イラストレイテッドが発表したSI's Top 20 Venues of the 20th Centuryによると、ビスレット・スタディオンはヤンキースタジアム、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ、ボストンマラソンのコースなどと並び、20世紀を代表するスポーツ開催会場として高い評価を受けた競技場である[14]。しかし20世紀の終わりに差しかかると競技場の老朽化が著しくなり、また6本のレーンしか持たないなどIAAFが求める規格(Construction Category I)に沿わなくなっていた[15][16]。 ビスレット・スタディオンの改築が決定し、旧競技場は2003年6月27日のビスレットゲームズで幕を下ろした[17][9]。改築中の2004年はベルゲン・ビスレットゲームズとしてベルゲンのファナ・スタディオン(Fana Stadion)で行なわれ、翌2005年7月29日のビスレットゲームズが完成した新しいビスレット・スタディオンのこけら落しとなった[18][19]。 ビスレットゲームズと日本ビスレットゲームズは日本の陸上競技とも関係が深い。これまでに多くの日本人選手が出場しており、小山隆治、石井隆士、増田明美、新宅雅也らがこの大会で日本新記録を樹立した[20][21]。また朝原宣治が2001年に100m日本歴代2位となる10秒02を記録した大会でもある[22]。かつてこの大会に出場した宗茂・宗猛兄弟は、ビスレットゲームズが持つ選手と観客の密接な距離感、大会の雰囲気に魅かれた[23]。2人はこの時の体験をゴールデンゲームズinのべおかの運営に取り入れている[3]。 世界記録前身を含め、ビスレットゲームズは多くの世界記録を誕生させた。最近では2008年にティルネシュ・ディババが女子5000m14分11秒15の世界新記録を樹立している。1996年の男子200mでフランク・フレデリクスが優勝を飾り、マイケル・ジョンソンの200m連勝記録を21で止めた大会でもある[24]。 ビスレットゲームズ(1965年-)
1937-1965年
アメリカンミーティング(1924-1937年)
大会記録男子
女子
脚注
参考文献
外部リンク |