パラサイト・シングル
パラサイト・シングル(Parasite single)とは、「学卒後もなお親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」を指す造語である。 用語パラサイト・シングルという用語は、1997年に山田昌弘(当時は東京学芸大学助教授)により提唱された造語である。親を宿主として寄生(パラサイト)する独身者(シングル)を意味する[1]。単に「パラサイト」と呼ばれることもあり、「パラサイトする」と動詞化して用いられることもある[2]。山田が1999年に筑摩書房から『パラサイト・シングルの時代』を出版し、広く知られるようになった。 山田によれば、成人後は自立を求められる北西ヨーロッパ諸国やアメリカ・カナダ・オーストラリアなどの諸国では見られないという[1]。家事を親に任せて収入の大半を小遣いに充てられるため、時間的・経済的に豊かな生活を送ることができるとしている[1]。そして結婚すると生活水準が下がるため結婚への動機付けが弱まり、未婚化の要因の1つになるとしている[1]。 なお、学卒後は親に依存していなくても、学卒前までに親や祖父母等から過剰な贈与や財産分与受けた場合(相続を除く、ただし親やきょうだいの配慮により法定相続分大きく越える金額を相続した場合は含む)もこれに含まれるとしている[3]。 類義語類義語に子供部屋おじさんやパラサイト中年というインターネットスラングがある。また、近世の武士階級においては部屋住みがあった。 パラサイト・シングルについては、両親の在宅介護などの事情がある場合もあり、また内閣府や厚生労働省も使用するなど[4][5]、必ずしも侮辱語とはみなされない。実際、提唱者の山田自身ものちに、「90年代後半のパラサイト・シングルの女性は特に華やかでした。正社員として働きながら収入のほとんどは自分のために使う。結婚願望があれば玉の輿を目指し、趣味を極め、旅行や消費に走るなど選択肢も多様で、それぞれ夢を追いかけていた」[6]と、当時のパラサイト・シングルを「独身貴族」的な羨望のニュアンスで振り返っている。一方で、子供部屋おじさんなどの類語は蔑称として使われる場合が多い。 各国の状況山田が欧米諸国との比較を根拠に「日本の負の環境」として提唱したパラサイト・シングルであるが、実際には、欧米諸国含め世界各国で同様の状況は古くから存在しており、さらに近年増加傾向にある。
問題点パラサイト・シングルにはニートが含まれ、ニートにはさらに引きこもりが含まれる、というように、三者は定義的に入れ子構造を呈するため[10]、これらが恣意的な形で一緒くたにまとめられてネガティブなイメージをもたらし、批判されることがある。一方で、労働力人口の低下に直結するニートや引きこもり問題は別としても(ただしこちらに関しても精神疾患との関係性や景気低迷による失業問題との関係性などから、単なる批判は避けるべきというのが近年の一般的な見解である。該当項参照)、パラサイト・シングルに関しては、「就労している場合、一体何が悪いのか」といった議論はメディアでも度々話題に上がる[11][12]。 パラサイト・シングルに関するこれまでの家族研究において、離家や自立のあり方に対する文化的階層的、またジェンダーによる差異は等閑視されがちであった[13]。日本では、長男による継承(あるいは地域によって多様な継承に関するルール)が規範として存在しており、伝統的にも離家をもたらす進学就職による地域移動の可能性は、地域や階層によって異なる[13]。しかし当初のパラサイト・シングル論においては、とくに国際比較の文脈においてはアングロサクソン型の、離家が自立の基礎で規範的とする観点から、同居を依存と捉える視点が強かった(なお地域の違いによる家族の在り方の多様性に関する詳細はエマニュエル・トッドの家族型を参照)[13]。 日本ではたとえば女性は結婚するまで親元にいるべきとか、地域によっては、都会に出て戻るよりも、一貫して地元で進学・就職をすることが望ましいという規範などが経験的には知られているが、家族研究においては進学や就職、結婚前の離家規範が、階層やジェンダーによって多様に編成されていることも十分考慮されているとはいえない[13]。 さらに、当初は「独身貴族」と言われるような、裕福な親に依存しながら悠々自適な独身生活を送る若者に対する問題提起としての背景があったが、2000年代以降、山田が仮説を提起した時点よりも、日本社会では非正規化の進展などにより若年層を中心に雇用環境が悪化し、個人/世帯の経済力も低下傾向という大きな構造的変化によって、未婚化は決して未婚者個人の選好の問題ではなく、構造的な帰結であるという認識が広まった[13]。 加えて、これらの問題提起の中で度々言及される「自立」「巣立ち」といった概念についても、時代背景や地域背景によってその困難性が大きく異なる。たとえば、20世紀初頭と21世紀初頭ではテクノロジーの進退によって、生活の基本的要件の確保(家事・食事等)に対する煩雑性は大きく異なり、また田舎と都市部では地域格差によって、生活の基本的要件を満たすための基盤である所得も大きく異なる。実際、多くの発展途上国では成人の子どもを含む大家族を形成する傾向があることで知られ[14]、パラサイト・シングル的な現代的「自立」に対する問題提起がなされるのは核家族形態が典型となった近年の先進国である。さらに極論を語れば、人間本来の自立型生活とは完全なる自給自足生活を指すわけであり、近年のテクノロジー依存型のライフスタイルを送る先進国の国民の多くは、親子同居や一人暮らし経験の有無に関わらず、皆自立型生活を送れていないということになる[15]。 なお、鳥類の巣立ちに代表されるような一部の生物種における生態を、人間社会にも通ずる普遍的な姿として、ときにパラサイト・シングル論などに結びつけられることもあるが、これは必ずしも正しくない。生物は多様性に満ちており、子育て(産卵後の保護)すらしない種もあれば、ある時点で子育てを終える種(前述の鳥類がこれにあたる)、さらには生涯を群れで暮らすような種もある。人類に最も近い類人猿を例にとってみても、ニホンザルでは、メスは生涯を生まれた群れで過ごし、オスは性成熟に達すると生まれた群れを出ていく「母系複雄複雌群」であるのに対し、チンパンジーでは、オスが生涯を生まれた群れで過ごし、メスが性成熟に達すると生まれた群れを出ていく「父系複雄複雌群」である[16]。 マーケティングライターの牛窪恵は、パラサイト・シングルの高齢化とともに、高齢者向けのシェアハウスが一般的になるのではないか、との持論を述べている[6]。提唱者の山田も同じく、欧米で一般的なルームシェアと、日本におけるパラサイト・シングルの根本的な類似性を指摘している[17]。 書誌情報
脚注
関連項目 |
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