石田秀輝
石田 秀輝(いしだ ひでき、1953年(昭和28年)1月1日岡山生まれ)は、地球村研究室 代表・東北大学名誉教授・(一社)サステナブル経営推進機構(SuMPO)理事長・(一社)エコシステム社会機構(ESA) OPaRL(一つの地球で暮らせる社会を描く研究所 One Planet Research Lab.)研究代表・酔庵塾塾長・ものつくり生命文明機構理事などを務める。環境科学研究者であり、また日本を代表するバックキャスト思考研究の第一人者でもある。活動の基本は、厳しい地球環境制約の中でも心豊かに暮らせるライフスタイルやビジネスシステム・政策のあり方を追求するもので、学際横断の概念創出とも言える。また、国内外で社会人や子供たちのバックキャスト思考を基本とした環境教育にも注力している。 人物大学では地球物理、地質・鉱物学を専攻、その後、㈱INAX(現LIXIL)で25年間、主に研究開発を担当、取締役CTO、技術戦略会議、環境戦略会議の議長を務め、INAXが環境先進企業として社会から評価される牽引役を果たしたものの、要である環境と経済を両立させるための理論構築には及ばず、その研究のために2004年INAXを退社し、東北大学大学院環境科学研究科の教授に着任、「ネイチャー・テクノロジー(自然のすごさを賢く活かす)」を提唱。ただ、その本質的な解を得るには、社会科学、哲学、倫理学の知識が無ければ解くことが出来ないことを知り、国際日本文化研究センター(日文研 京都)に5年間通い、2009年に環境と経済が両立できる「ネイチャー・テクノロジー」の構造を明らかにした。並行して、大学では学際横断的な「環境科学」という新しい学問体系構築に参画するとともに、「環境科学」の概念を基盤に社会を変革する具体的な実践の場として2005年から10年間にわたり、社会人を主な対象とした大学院「環境政策・技術マネジメントコース」(SEMSaT)を研究科内に立ち上げ、日本で初めての環境リーダー育成を開始、修了生たちは行政、企業、NPO/NGOの分野で先導的リーダーとして活躍している。 2014年、ネイチャー・テクノロジーの上位概念である「(地球環境)制約の中で心豊かに生きる」社会実装の為、東北大学を辞し、失ってはならない日本の文化を色濃く残す奄美群島沖永良部島に移住、「酔庵塾」を開塾し「子や孫が大人になったときにも笑顔あふれる憧れの島つくり」の理論構築と社会実装に挑戦している。 また、ここで得られた成果を企業に還元するために、2019年に創設された(一社)サステナブル経営推進機構(SuMPO)理事長に就任、また「OPaRL 一つの地球で暮らせる社会を描く研究所」を2024年4月に設立された(一社)エコシステム社会機構(ESA)内に創設した。 業績企業での実践経験をもとに、人類にとっての地球環境問題の本質は人間活動の肥大化であり、それを心豊かに生きるという生の本質を担保しながら停止・縮小させるためのライフスタイルをバックキャスト思考で描き、そして、それを達成するための新しいビジネス(テクノロジーやサービス)、政策の在り方を自然の循環(エコシステム)の中で考える「ネイチャー・テクノロジー(自然のすごさを賢く活かすものつくりと暮らし方)」創出システムを構築し、ライフスタイルそのものを大きく変革する、多くの超低環境負荷、高機能テクノロジーやサービスを研究開発し市場に投入してきた (土の凝集構造に学ぶ無電源エアコン、トンボの翅に学ぶ風力発電機、泡に学ぶ水のいらない風呂、カタツムリの殻に学ぶ汚れない表面、土中微生物に学ぶ家庭農園等)。 ライフスタイルに関しては、制約の中で豊かであるという概念を具体化するため、90歳ヒアリング手法やバックキャスト思考によるライフスタイルの創出手法を准教授の古川柳蔵氏(現東京都市大学環境学部教授)とともに確立し、制約の中で豊かであるという構造が、『ちょっとした不自由さや不便さ(喜ばしい制約)を個やコミュニティーの知識・知恵・技で埋める(解放する)』ことによって成立し、同時にそれによって愛着感・充実感・達成感が生まれることを明らかにした(2014年)。また、これらの研究成果は、文部科学省新学術領域研究「生物多様性を規範とする革新的材料技術(2012-16年)」の研究代表(領域代表:下村正嗣)としても展開された。 一方、地球環境が限界状況にあるにもかかわらず、社会の変化が緩慢であることに危機感を持ち、OPaRLを創設(2024年)、一つの地球で暮らせる社会をバックキャストで描き、オントロジー工学(行為分解木)やLCAを用いることで定量化する試みにも挑戦している。 趣味奄美群島沖永良部島の自然と酒(黒糖焼酎)、そして住民に魅かれ、1997年から毎年数度通い続け、2004年に知名町のジャングルの中に家(屋号:酔庵)を建て別荘として使っていたが、2014年4月沖永良部島に移住し本宅となった。屋号の通り、酔庵には、島内外から多くの人が(酒を飲みに)やって来るという。 紀元前後の遺跡を訪ね、昔を想い酒を飲み、DIY、料理、テニスも楽しむ、65歳からバドミントン、70歳からサックスを始めた。 略歴
賞歴
著作国内外を含め論文・総説等約590報を掲載、101の特許を取得している。 単著
共著
監修
メディア出演その他メディア
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