パウル・レニ (Paul Leni 、1885年 7月8日 - 1929年 9月2日 [ 1] )はドイツ の映画監督 、美術監督。ドイツ表現主義 の重要人物。はじめドイツで、後にアメリカ に渡って映画を撮るが、敗血症 [ 2] により早逝した。英語読みでポール・レニ と表記されることもある。
生涯と経歴
1885年7月8日、シュトゥットガルト のユダヤ人家庭に生まれる[ 3] 。王立芸術アカデミー に学んだ後、舞台美術家となる。
1913年 以降、ヨーエ・マイ (英語版 ) 、エルンスト・ルビッチ 、リヒャルト・オスワルド 、E・A・デュポン などの映画の舞台美術や衣装デザインにかかわる。
1917年 からは監督も手掛ける。ドイツ時代の代表作『裏町の怪老窟 』(1924年)は当初4部構成として企画されたが、予算が底をついて最終章を撮影できなかった。またアニメと実写でクロスワードパズル を完成させる『Rebus-Film』(1925年〜1926年)という実験的な連作(全8話)も撮っている。
1927年 、カール・レムリ に招かれてアメリカに渡り、ユニバーサル・スタジオ で『猫とカナリヤ 』(1927年)を撮る。ジョン・ウィラードの同名戯曲の映画化で、幽霊屋敷 の演出は、後のユニバーサル・ホラーに多大な影響を与えた。この映画自体も1939年、ボブ・ホープ 主演でリメイクされた(『猫とカナリヤ (1939年の映画) 』)。翌1928年 には多額の予算をかけてヴィクトル・ユーゴー 原作の『笑う男』を監督した。
1929年 、『The Last Warning』を監督。『猫とカナリヤ』の人気に乗じたミステリ映画だった[ 4] 。この映画はレニの遺作となった。公開から八ヶ月後の1929年9月2日、レニは未治療の歯から感染した敗血症によりロサンゼルス で亡くなった[ 2] [ 5] 。44歳であった。
フィルモグラフィ
雑誌『Das Plakat』1920年10月映画特集号の表紙(パウル・レニ画)
ドイツ時代
美術監督として
Ein Ausgestoßener (1913) (監督:ヨーエ・マイ)
Das Panzergewölbe (1914) (監督:ヨーエ・マイ)
Der Katzensteg (1915) (監督:マックス・マック)
Der Blusenkönig (1917) (監督:エルンスト・ルビッチ )
Der Ring der Giuditta Foscari (1917)(監督:アルフレッド・ハルム)
ヴェリタス Veritas vincit (1919) (監督:ヨーエ・マイ )
Rausch (1919) (監督:エルンスト・ルビッチ)
白孔雀 Der weisse Pfau (1920) (監督:E・A・デュポン)
Die Geierwally (1921) (監督:E・A・デュポン)
Lady Hamilton (1921) (監督:リチャード・オズワルド )
Kinder der Finsternis (1921) (監督:E・A・デュポン)
Frauenopfer (1921/22) (監督:カール・グルーネ)
愛の悲劇 Tragödie der Liebe (1922) (監督:ヨーエ・マイ )
Die Gräfin von Paris (1923)(監督:ディミトリー・ブコエツキー 、ヨーエ・マイ)
Der Farmer aus Texas (1925) (監督:ヨーエ・マイ)
Die Frau von vierzig Jahren (1925) (監督:リチャード・オズワルド)
Der Tänzer meiner Frau' (1925) (監督:アレクサンダー・コルダ )
Manon Lescaut (1926) (監督:アルトゥール・ロビソン)
Einspänner Nr. 13 / Fiaker Nr. 13 (1926) (監督:マイケル・カーティス )
Der goldene Schmetterling (1926) (監督:マイケル・カーティス)
Wie einst im Mai (1926) (監督:Willi Wolff)
監督として
Das Tagebuch des Dr. Hart (1917)
Prima vera (1917)
Dornröschen (1917)
Das Rätsel von Bangalor (1918)
Die platonische Ehe (1919)
Prinz Kuckuck (1919)
Die Karten des Todes (1920)
ゼノアの騒動 Die Verschwörung zu Genua (1920/21)
Hintertreppe (Leopold Jessnerと共同) (1921)
裏町の怪老窟 Das Wachsfigurenkabinett (1924)
Rebus-Film Nr. 1–8 (短編シリーズ) (1925/26)
アメリカ時代
猫とカナリヤ The Cat and the Canary (1927)
支那の鸚鵡 The Chinese Parrot (1927)
笑ふ男 The Man Who Laughs (1928)
最後の警告 [ 6] The Last Warning (1929)
脚注
^ “BFI database: Paul Leni ”. bfi.org.uk . November 16, 2016 閲覧。
^ a b Landazuri, Margarita. “The Cat And The Canary ”. silentfilm.org/ . November 16, 2016 閲覧。 “He died on September 2, 1929, of blood poisoning caused by a neglected tooth infection. He was 44 years old.”
^ Brook, Vincent (2009). Driven to Darkness: Jewish Emigre Directors and the Rise of Film Noir . Rutgers University Press. pp. 256. ISBN 978-0813548333 . https://books.google.com/?id=frs8PL1Gb64C&dq=Paul+Leni+jewish
^ Atkinson, Michael. “The Last Warning ”. silentfilm.org/ . November 16, 2016 閲覧。 “The kind of party we’re in for was immediately familiar to audiences in 1929 because of the intense popularity two years earlier of Leni’s The Cat and the Canary—to which The Last Warning is devised to be a companion film, almost a redux.”
^ Atkinson, Michael. “The Last Warning ”. silentfilm.org/ . November 16, 2016 閲覧。 “was the final film for the illustrious Leni who died eight months after its release of blood poisoning at the age of forty-four.”
^ 東京朝日新聞 昭和4年3月25日夕刊の広告(浅草電気館 、新宿武蔵野館 )
外部リンク
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